台湾での埋葬を遺言した明石
明石の時代は突然、幕を閉じた。就任当初から、明石は前例のない頻度で各地を視察し、現地事情の把握に努めていた。しかし、過労がたたり、1919年7月、インフルエンザに感染してしまう。一度は快復し、10月13日に別府での療養のため台湾を離れたが、19日に危篤の報が総督府に入る。そして24日の午前6時30分、帰らぬ人となった。なお、爵位授与の関係で、死亡日は10月26日と発表されている。
明石は生前、総督府総務長官の下村宏に、「万一の際は台湾に葬るように」と遺言を残していた。これに従い、亡骸は氷を敷き詰めた状態で船に乗せられ、台湾に戻った。基隆(きいるん)港に到着した後は、特別列車が仕立てられ、台北に移送された。
葬儀は総督府葬として11月3日の午前8時30分から台北新公園(現・台北二二八和平公園)で執り行なわれ、現在の康楽公園・林森公園にあたる三板橋(さんばんきょう)の共同墓地に埋葬された。沿道では約10万人が柩(ひつぎ)を見送ったとされる。歴代総督19人のうち、台湾を永眠の地に選んだのは明石のみだった。なお、明石家の墓地である福岡市天神の勝立寺には、遺髪と爪だけが納められた。
