「私はチャイニーズです」
ご存じのように30代のテレサは、日本で目覚ましい活躍をして名実共にアジアの歌姫となった。その一方、中国大陸と地続きの香港に生活と仕事の拠点を移し、自らのアイデンティティーを模索していた。外省人2世として台湾に生まれ、中華民国というバックボーンを背負って流行歌手になった彼女は、台湾、香港、東南アジアばかりか世界の華人社会でスターになり、国籍に関係のないアイデンティティーを持つに至ったと思われる。
「私はチャイニーズです」と彼女が話すとき、それは狭義の「中国人」という意味ではない、文化アイデンティティーに基づく“華人”であることを、彼女はアピールしている。1991年にパリで本人にインタビューしたときから、私はそのことをつくづく感じていた。彼女は台湾とか中国という捉え方でなく、世界の華人のために民主化された中国で慈善コンサートを開く夢を育んでいた。しかし、1989年に起きた天安門事件により夢は挫折し、一度も父祖の国を訪ねることなく1995年5月8日に世を去った。
没後25年がたっても、テレサの思い出が脳裏に去来する。自身で作った曲を発表したいとひたむきに努力を重ねていた姿、中国の民主化を願う真剣な表情、そして年下の恋人と戯れあう愛らしい姿態まで、私はテレサのことを忘れない。
改めて、彼女の魂が安らかであれと祈りたい。全てから解き放たれて自由であれと・・・。
バナー写真=ラジカセとテレサ・テンのカセット(筆者撮影)
