爆弾の落下点に植えられた椰子
2020年6月、筆者が韓内児科診所を訪ねると、韓良誠院長はいつもの柔和な笑顔で迎えてくださった。吹き抜きの中庭にある背の高い椰子の木の前で、院長は流暢な日本語で「ここに爆弾が落ちたんです。その事を忘れないよう、後日この木を植えました」と言った。筆者は過去何度もここを訪れているが、この木にそんな謂われがあったとは初耳だった。
「防空壕はどこにあったのですか」と尋ねると、院長は椰子の木から20メートルほど奥の、小さな白馬の彫刻が置いてある小さな築山に案内してくれた。
「あの時は本当に不思議でした。神様の計らいというべきか、普段は腰の重い母にこの日だけは防空壕に入ってもらって、扉を閉めたら、まさにその瞬間に爆弾が落ちたんです。半時間か一時間経って外に出たとき、皆の顔は砂だらけで、鼻の下には煙を吸ったために黒い筋ができていました。」
姉・淑英氏の遺体が発見された場所も教えてもらった。医院の一番奥にある、種々の草花が植えられた広い庭園の一角で、その場所の脇には池があり、鴛鴦(えんおう)という美しい鳥の一対の雄と雌が飛んでいた。この日院長はたくさんの話を聞かせてくださったが、中でも最も真剣な面持ちで、瞳を潤わせて口にされたのは次の言葉だ。
「この空襲でぼくが一番不可解なのは、どうしてアメリカはこんなに残酷なのかという事です。軍事施設を潰すのはアクセプトできる。でも全然手に何も持たない…中国語でいう《手無寸鐵》の住宅地にどうして爆弾を落とすのか。さらに焼夷弾まで。どう考えてもやりすぎです。」


