日本に長期滞在した「主夫時代」
結婚後、さまざまな平和運動を世界各地で展開していた2人は、アルバム『イマジン』を発表後に米国ニューヨークに拠点を移し、急進的なベトナム反戦運動に関与する。あくまでも非暴力の運動を提唱、実践していたジョンだが、その影響力に警戒心を抱いた当時のニクソン政権は国外退去を命じる。2人は撤回を求めて闘い、米国に踏みとどまった。
長い闘いの末、1975年10 月国外退去命令が取り消され、同月、一人息子のショーンが誕生した。日本を再訪したのは、それから2年後のことだ。77年5月から10月まで一家で滞在した。その後も78年に3カ月、79年に1カ月と、のべ9カ月を日本で過ごし、東京、湘南、軽井沢、箱根、京都などを代わる代わる訪れた。日本で気兼ねなく過ごせる別荘地を探していたともいわれる。
「いまであれば、ツイッターであっという間にジョンの目撃情報が全国に拡散したでしょう。でも、当時は、来日していることも知られず、ほとんどニュースになりませんでした」
ジョンはショーンが5歳になるまで音楽活動はしないと宣言し、ずっと「主夫」役を務めていた。「“主夫”は今でこそよく聞く言葉ですが、世間では認知されていなかった。影響力のある著名な男性が子育てに専念すると明言したのは、ジョンが初めてだと思います。そして、陰陽や禅の思想で子育てをしていた。例えば、食事はジョンが作っていましたが、陰陽を原理とするマクロビオティックの、玄米や豆類を中心とする食事法を実践していました」
「DOUBLE FANTASY - John &Yoko」展では、日本で撮影した家族写真や、ジョンが日本語を学ぶため、ローマ字とイラストで日本語の単語や表現をつづったスケッチブックの原画を見ることができる。中には、どことなく禅画の雰囲気が漂うイラストもある。
5年のブランクの後に『ダブル・ファンタジー』(1980年11月17日英国で発売)が出た時は本当にうれしかったと、広田さんは振り返る。「レコード会社から届いた試聴テープを聴いて、夫婦関係や子育て、男女関係について、正直にリアルに表現したアルバムだと感動しました。これからもっとジョンの音楽が聴けると喜んでいた矢先に、殺されてしまった」
「禅や俳句が好きだとうわべで言うのではなく、思想を理解し、生き方でも実践して曲を作っている。そんなミュージシャンはまれです。もっと長生きしていれば、日本に別荘を持ち、国内の音楽界や芸術家と交流する機会も増えたはずです。それに、ジョンは日本語で俳句を作りたかったのではないかな。その可能性が奪われてしまったことも残念です」
バナー写真:「ジョン、ヨーコ、ショーン 1977年家族旅行 東京にて」(Photo by Nishi F. Saimaru ©Yoko Ono)/「DOUBLE FANTASY - John & Yoko」東京展より
■「DOUBLE FANTASY - John & Yoko (ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ)」東京展
- 現在「ソニーミュージック六本木ミュージアム」で開催中(~2021年1月11日)
- 公式サイト:https://doublefantasy.co.jp/

