「女性差別」を生む構造がある限りセクハラは消えず 

実際、セクハラの事件では、「相手が嫌がってるなんてまったく知らなかった」というセリフをよく聞く。パトカー内で若い女性巡査の太ももを触ることを半年にわたって繰り返していた男性巡査長は、「太ももの触り心地がよく、何も言われなかったので続けてしまった」とのたまった(2012年6月8日朝日新聞夕刊)。あきれ果てる鈍感さだが、しかし、何をしようが強くNo!と言われることもなく、愛想よく接してもらうのを当たり前にしてきた男たちに、「女性の内心」を慮るなどできるわけもなく、鈍感さがビルトインされているのだ。これではセクハラは途切れるわけはない。

そしてこの社会には、女性が軽視され尊重されない構造的な問題がある。「女性の活用」が政策に掲げられていても、女性はまっとうな働き手としては扱われにくく女性の非正規労働率は上昇するばかりだ。女性の貧困化の進行も深刻だ。マタハラもまさにその象徴で、国を挙げて少子化対策に取り組むなどと言いながら、妊娠出産があたかもペナルティのように女性に不利にはたらく。

家事や子育てを誰かに任せて長時間労働もいとわず働く働き手だけが一人前の労働者として扱われているこの社会では、女性の働く権利や生きる権利が損なわれ続けている。女性差別を生み出しているこの構造が変化しない限り、セクハラ事件はこれからも湧き出てくることだろう。

(2015年4月13日 記)

バナー写真=法廷で初めてセクシャルハラスメントが本格的に争われた裁判で全面勝訴し、支持者に内容を説明する弁護団(1992年4月16日福岡市の福岡県弁護士会館 /時事)