経営危機を乗り越えて
——実際の危機に役立つ企業文化が根付くまでには、どのようなご苦労があったのでしょうか。
「日産は、1990年代に経営的な危機を経験しているという点が大きいと思います。ルノーと提携した1999年以降、当社の経営は順調に回復していましたが、2008年の金融危機で再度、危険な状況に陥りました。ですから、危機を乗り越える際には集中的に対応しなければならない、ということが従業員の身に染みついているわけです。
90年代の危機のときは、8年間赤字が続きました。この状態が長く続くことで、業績が上がらないことに慣れてしまっていました。対策を立てても後手に回り、追加の対策をしても間に合わずに情勢はさらに悪化しました。後手後手の対策ではいつまでも浮上できませんでした。99年に発表した経営再建計画『日産リバイバルプラン』で、早くリカバリーするためには、少し苦しくても集中的に危機対策をする必要があるということをようやく学びました。
今回の震災でも、集中的な対策を心がけました。例えば3カ月間の開発業務をストップし、残業も全社的にしないことにしました。支出のほとんどを止めて、キャッシュフローを抑えて事態の悪化に備えました。瞬間的に集中的に対応するという点で従業員にもメッセージが伝わりやすかったと思います。これは営業自粛ではなくて、マネージメントの判断でした。こうしたリスクマネージメントに対して、従業員が理解してついてきてくれるようになったと感じました。
現在のような形につながるリスクマネージメントを始めたのは、ちょうど日産リバイバルプランに取り組んでいる最中の2001年ごろです。その後、試行錯誤を重ね、経営の持続性に関わるリスク要因を洗い出し、リスクマップを作成し、個別のリスクについて役員からリスクオーナーを決めて対策を担当するという形ができてきました。ある程度の対策が取れればリスク項目から外して、新たなリスク要因を洗い出し、さらに対策を施すというPDCAサイクルを回してきました。そういう中に地震対策もありましたし、サプライヤーのBCP(事業継続計画)もありました。
いざというときに、リスクマネージメントが機能するということは、企業として大胆なチャレンジができるということにもつながります。日産は新興国での戦略でも、電気自動車への取り組みでも、他社の後追いではなく、日産としての独創的な戦略を打ち出し、そこに向けて成果を出していくという方法を取っています。他社の後追いであれば、失敗例なども見て動けるので大きなリスクは負わずに済みます。逆に日産が先頭で何かをしようとすれば、いろいろなリスクをはらみます。大胆なチャレンジ戦略を取れば取るほど、あらゆることを想定したリスクマネージメントが必要なのです。
例えば、中国バブルの終焉やユーロ危機といったリスクを憂慮して投資を手控えるなど、目の前の危険ばかりを気にしていたら、成長はできません。今の日本経済はそういうところに陥っているような気がします。日産は、こうした状況の中でも、いろいろなところで先手を打っていく、という決意を持った戦略を立てています。2011年6月に発表した中期経営計画『日産パワー88(エイティエイト)』も、大胆で非常に意欲的な内容になっています。
リスクマネージメントとは、災害や世界規模の経済危機等に対する日頃からの準備であると同時に、大胆なビジョン、戦略を打ち出してそこに向かっていくための準備でもあります。つまり、2通りの意味があるのだと思います」
自動車が日本の産業を支えている
——日産の「先手、先手」という対応に対して、政府の対応は終始後手に回っていたと思います。節電対策など政府をリードされているようにも見えましたが。
「自動車産業は日本のリーディング・インダストリーである、日本の産業を支えているという自負があります。自分たちが頑張らなければ、日本が大変なことになるという覚悟を持って取り組みました。
数字を申し上げますと、自動車産業の輸出は、2010年は部品も含めて約12兆円。輸入は約6000億円。自動車だけで11兆円を超える貿易黒字に貢献しています。日本全体の貿易収支は輸出約67兆円、輸入約61兆円で黒字は約6兆円ですから、自動車が輸出できなくなれば、貿易赤字になるわけです。ものの見事に、震災で生産停止を余儀なくされた2011年4月は貿易赤字になりました。貿易収支が赤字に転落するということは、いずれ経常収支に影響しますし、国債発行にも影響します。自動車産業が背負っている責任は非常に大きいのです。
残念ながらわれわれは震災直後に生産停止を余儀なくされました。それによって日本経済に大きな影響が出てしまった。被災地には500社ほどのサプライヤーがいて、大変な数の雇用の受け皿にもなっています。自動車の生産を再開しなければ、これらの工場も再稼働できません。鹿島コンビナートの化学の素材も、鉄も、われわれが動き出さなければみんな動けないのです。早く動かして、日本経済をけん引するという役割を果たさなければならない。そういう意識が非常に強かったのです。
電力不足に伴い実施された計画停電では、生産を止めざるを得なくなり、その意欲に水を差す結果となりました。当初の計画では7月には徐々に増産して夏場から秋にかけてフル増産という見込みでした。被災地を含めて大きな経済効果を及ぼして、日本の復興につなげたいと考えていたのですが、計画停電にブレーキをかけられたようなものです。
それでも、大規模停電を起こすわけにはいきません。われわれ自動車業界で使用している電力は相当な量ですから、電力使用量が最も多いといわれた木・金曜日の操業を止めれば、ピーク電力は平準化して他の産業は普通に仕事ができるようになります。そこで、自動車業界全体で休日の振り替えに踏み切ることにしました。
この方策が最も有効な社会貢献と考え、決断したことでしたが、一番うれしかったのは、木金の振り替え休日でつらい生活を強いることになってしまった従業員とその家族、休日変更で迷惑をかけた工場の周辺地域の方々から『苦労したけれども、世の中には貢献できた』という感想が聞けたことです。従業員一人ひとりまで、自動車産業の社会的責任を感じることができたという点では、従業員に苦労はかけたけれども、やって良かったと感じています」

