なぜ紛争地に戻るのか
紛争地への派遣は一回に数カ月程度が多い。肉体的・精神的負担が大きいからだ。帰国後もストレスからすぐ解放されるわけではない。
「最初の頃は、帰国して東京の街中を華やかなファッションで歩く人たちを見ると、怒りすら感じました。シリアやイエメンは空爆で大変な事態なのに、みんな何も知らないのかと……」
だが、さまざまな戦争や難民の苦しみを見てきた今、認識が変わった。「紛争地の空爆が現実なら、日本の平和、自由も現実だと受け入れられるようになりました。日本人は世界で起きていることをあまりにも知らないという声もあります。でも、平和な日本に生まれたのだから、彼らは目の前のことを一生懸命にやって生きればそれでいいという考え方もできますし」
紛争の現実を目にした白川さん自身は、「彼ら」の一員には戻れない。要請があれば迅速に現地に向かう。
「例えばシリアでは、病院が空爆され、人が泣き叫んでいる。明らかに人道支援、緊急医療が必要とされています。NGOや国際社会からの援助が十分に足りているなら、私は行かないかもしれない。でも現実は違う。だから、行かなくてはならないと思うのです」
ジャーナリストとは違う立場で伝えていく
MSFに参加して2年ほどたった頃、看護師を辞めてジャーナリストになろうと思ったことがある。やまない銃撃の音の中で、次から次に運び込まれてくる瀕死(ひんし)の患者の対応に追われながら、「戦争を止めるためには何の役にも立たない医療活動をしている自分自身に怒りを感じた」からだ。
だが、迷った末に看護師を続ける決意を新たにする。「MSFは、ジャーナリストも立ち入れない紛争地の状況を証言することで多くの命を救えるという信念の下に活動しています。私も看護師として伝えることができると気付きました」
伝えること、証言すること―それが初の著書刊行という形で実を結んだ。MSFの海外派遣スタッフには年齢制限がなく、50代、60代で活動している人たちもいる。白川さんは今後の人生設計をどう考えているのだろうか。
「派遣活動を一生やっていくのも一つの道です。今は、後輩を育てることも視野に入れて、講演活動や本を書くことで自分の経験を伝えることにも力を入れたい」
白川さんが20代半ばでMSFの説明会に足を運んだ時、参加者は6人程度だった。近年では応募者が増え、日本から毎年100人以上が海外に派遣されている。彼らは自分のスキルを人道援助に生かすというやりがいのほかに、過酷な現場でどんな喜びを見いだせるのだろうか。
「実は、楽しい思い出はたくさんあります。派遣に行かなければ到底出会わなかった人たちと出会い、時間やモノがないなりに、いかに楽しく日々を過ごすかを一緒に計画したり……」。何よりも、日々手を握り続け、元気になってと語りかけた患者が、ようやく見せてくれる満面の笑み。その笑顔のために、白川さんは「紛争地の看護師」であり続けるのだろう。
取材・文=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部)
写真=三輪 憲亮
*海外派遣の写真は「国境なき医師団」提供


