政治犯の監獄があった緑島での出来事

台湾の国家人権博物館は、かつて政治犯の監獄があった緑島(台東県の離島)と新北市景美の2カ所からなる。

受難者としての体験を語る活動を続ける蔡焜霖(87)は1950年10月、読書会に参加していたという理由で拘束された。懲役10年の判決を受け、基隆からLST(戦車揚陸艦)で連れて行かれたのが緑島だった。「きれいな丘ですね、緑生い茂る。あれ見て、『いやー、天国へ来たのだな』と思いました」。途中で海に投げ込まれる恐怖におびえていただけに、緑島の第一印象は開放的なものだった。

緑島では、島内の石を運び、高い塀を作って自分たちにあてがわれた営舎をぐるっと囲む作業をさせられた。夜はステージを使ったプログラムを鑑賞することが科せられる。反共ドラマを見ても「つまらない」だけだし、京劇といっても、蔡もこのころは大抵の受難者と同じように中国語があまり理解できず、せりふの意味が分からなかった。

その晩のプログラムでは、早く終われとばかりにうつむいていた蔡の頭上を「わーっ」という歓声が覆った。「天女が降りてきたのかな」。顔を上げた蔡の目はステージにくぎ付けになった。台湾でモダンダンスの母として知られる舞踊家、蔡瑞月(1921~2005年)のレッスンを受けた女性たちだった。瑞月は夫の詩人、雷石楡が二二八事件で逮捕された後、自身も緑島に送られている。そこで若者たちに稽古を付けており、蔡はそのダンスに「『これから、おれも強く生きていこう』と、初めて決心できた」と振り返る。

国家人権博物館の受難者一覧には、蔡焜霖と蔡瑞月の名前も刻銘されている=2018年7月12日(筆者撮影)

この言葉は力強くてポジティブだが、その奥に怒りと悲しみを秘めていることは1980年に起きた「林家事件」を語るときにはっきりした。民主進歩党の創設メンバーでもある林義雄が収監されていたときの事件だ。

「80年2月27日、義雄さんのお母さんと双子の娘がここ(景美の監獄)へ面会に来ました。獄中で拷問を受けていた義雄さんは、顔も体も傷だらけだったのです。それで、お母さんが『私の息子は何も悪いことしてないのに、どうしてこんなひどい目に遭わないとならないのか』と大泣きしました。ところが翌日、双子が殺されました」。

蔡はこう説明するのにおえつを必死にこらえ、40秒ほどかけてやっと言い終えた。