絶滅の危機を乗り越えて
見島に上陸後、見島ウシ保存会会長の多田一馬氏の案内で、小高い丘を擁する共同牧場で、のびのびと育てられている見島ウシを見た。1967年に33頭まで減って絶滅寸前だったところ、保存会が設立され、2018年現在で87頭まで回復しているという。全て自然交配で生まれ、体格は小柄ながら引き締まり、漆黒の光沢のある毛並みに潤んだ瞳が愛くるしい。前肩が逆三角形に発達し、棚田が多い島の地形でも小回りが利く。性格は明敏で、人の言う事をよく聞き、働き者だそうだ。和牛の特徴は肉質にあるが、「見島ウシは『足の先まで霜降り』」と多田氏は言う。理由は、潮風に運ばれる塩分やミネラルが牧草に多く含まれているからということだった。台湾和牛の「源興牛」の写真を多田氏に見せると、「見島ウシによう似とるねえ!」と驚きの声が上がった。角や体つきがよく似ていると目を見張る。
国の天然記念物に指定された1928年以前は、見島で牛の市場が開かれ雌雄セットで売られていたという。1895年から1945年まで続いた台湾統治だが、源興牛の祖先がやって来るには十分に時間があったと考えられる。また、当時は、山口県の隣、福岡県北九州市の門司港と台湾の基隆港が「台湾航路」で結ばれていた。島から本土の萩に渡り、さらに門司港まで運ばれ、船で台湾の基隆港に到着して陽明山まで来て放牧されていたのかもしれない。ちなみに李登輝基金会肉牛BLUP研究中心が日本の畜産学会誌に発表した論文によると、長年台湾の気候の中で育った「源興牛」は、黒毛和種および過去に交配した欧米品種から離れ、「台湾の在来種」ともいえる独自性を獲得しているそうだ。
保存会の最大の悩みは飼育農家の後継者不足
天然記念物として扱われるのは島内にいる見島ウシの個体のみで、島外では適用されないため、年間およそ10頭の雄牛が本土の養牛場へ渡り、大きく太らされた後に食用として出荷される。卸値で100グラム3000~4000円の希少な和牛だ。しかし飼育には国による補助だけでは足りないほどの経費が発生するため、売買で得た収入はこれらに充てられる。農家の手元にはほとんど残らない。また近縁交配が進んだためか、年々種付けが難しくなり、頭数の少ない見島ウシで生計を立てることは難しい。保存会が最も頭を抱えているのは後継者不足である。島の農家はどこも高齢化が進み、千年のたんぼ、八町八反でも耕作放棄地が見られる。
八町八反の海側には、かつて防人を担い、見島で稲作を始めた人々の眠る「ジーコンボ古墳群」がある。見島観光協会の天賀保義氏は、島では古くは「ジコンボ」(地公墓)と呼び、それは台湾語での墓の呼び名とも伝えられていると教えてくれた。大だこの「おにようず」といい、黒潮につながる対馬海流の真上に位置する見島は、かつては多彩な文化が往来する東アジアの拠点で重要な海上都市だったかもしれない。
見島を訪れると、牛や田んぼをはじめ、見島に残る全てのものが、いにしえから積み重ねられた地層の物語となって静かに語りかけてくるようだ。
《参考資料》
- 『SNPマーカーを用いた台湾牛種と黒毛和種および欧米種との遺伝的関係の解析』/ 日畜会報89・2018/李登輝・王燕軍・中村佐都志・長嶺慶隆(李登輝基金会肉牛BLUP研究中心)
- 千年の田んぼ/石井里津子/旬報社
- 牛道をあゆみて~和牛経営調査紀行/中山清次


