認定された人々との違い
二・二八事件を巡っては、2016年2月に初めて外国人が犠牲者として認定されている。鹿児島県与論町出身の青山惠先さん(事件当時38)である。その年の11月、具志堅さんや徳田さんらは石底加彌さんと仲嵩實さんを犠牲者として認めるよう申請したが、2017年7月に却下された。不服申し立ても2018年3月に却下された。
却下の根拠とされたのは死亡届と死亡診断書である。そこには次のように書かれていた。
【石底加彌さん】
死亡日時:1949年3月28日午前4時
死亡場所:自宅(与那国町)
直接の死因:マラリア
死亡診断が行われた日:1961年10月31日
与那国町役場が受理した年月日:1961年11月13日【仲嵩實さん】
死亡日時:1949年3月28日午前3時
死亡場所:自宅(与那国町)
直接の死因:マラリア
死亡診断が行われた日:記載なし
与那国町役場が受理した年月日:1958年7月18日
亡くなってから受理されるまで、石底さんの場合は12年、仲嵩さんの場合は9年がそれぞれ経過している。石底さんの死亡診断は死後12年を経ており、仲嵩さんに至ってはいつ診断が行われたのか不明である。どのような経緯でこのような死亡届が作成されたのか。前出の崎原のりさんは「(行方不明になってから)あまりにも長かったもんで、失踪届けは出さないといけないということでやったんじゃないですかね」と推測する。ここでいう「失踪届け」とは「死亡届」のことだ。
石底さんと仲嵩さんが犠牲者かどうかを判断する根拠となったのは、こうした事情を抱えた文書なのである。死因の「マラリア」はあくまで便宜的に記入された可能性が高い。そして、犠牲者として認定された青山さんの死亡届は出されていなかった。

