分霊されていく義愛公
義愛公は嘉義県沿岸部に生まれた地域信仰である。しかし、その存在は特定地域に留まらない。郷土史研究家の黄国哲さんによると、現在 、義愛公には9カ所の分霊先があるという。多くは副瀬村に近い朴子市や嘉義市だが、中には台湾中部の彰化県和美や台湾北部の新北市新荘にも分霊されている。
台湾各地をくまなく回り、「信仰の対象となった日本人」を訪ね歩いている関口直美さんによれば、こういった廟や祠は全土に60あまりあるという。その中でも、ここまで多くの分霊先を持つことは珍しく、義愛公の存在は際立っている。
義愛公は「守護神」という意味合いも強く、副瀬村の人々が移住した先に分霊した義愛公を持ち込むケースが見られることも特色だ。
嘉義駅の裏手には、義愛公の分霊先が3カ所ある。副瀬村の小副瀬富安宮は、副瀬村から嘉義に移り住んだ人が自宅に祭壇を設けて義愛公を祀っていたが、1966年に廟が建てられ、現在に至っている。
また、すぐ近くにある富義宮は、かつて大日本製糖株式会社が敷設した製糖鉄道の廃線跡の脇に位置する。ここの場合、本家の富安宮とは異なり、義愛公だけを祀っている。しかも、付近に暮らす家庭に貸し出されたりするケースも多く、分身が30尊もある。
さらに、高雄市にも分霊先がある。徳安宮は航海の女神とされる媽祖を主神とするが、そこに義愛公がいる。この媽祖も副瀬村に近い港口宮という廟から分霊されたものである。
個人の邸宅内に祠が設けられているケースも見られる。朴子にある天旨堂は一般家屋の屋上に設けられた私壇である。家主の李託生さんは幼少期から義愛公の信徒で、家を新築した時に富安宮から分霊を受け、この祠を設けた。その後、李さんは膀胱がんを患い、医師からは見放されたが、義愛公参拝の際に処方された薬で奇跡的に助かるという奇跡が起こった。李さん自身は93歳で逝去したが、現在も遺族が毎日義愛公に手を合わせているという。
北部唯一の分霊先である新北市新荘区の北巡聖安宮は、1958年に副瀬村出身者が富安宮から分霊を受け、自宅で祀っていたが、ご利益が大きいことから話題となり、1971年に現在の廟が建てられた。中国国民党による一党独裁政権時代は、日本人を神として祀ることに言いがかりを付けられたが、あくまでも媽祖を祀っているのだと言い張り、義愛公は守られたという。
各地に分霊された義愛公
| 新莊北巡聖安宮 | 新北市新荘区 |
| 嘉邑小副瀨富義宮 | 嘉義市 |
| 嘉邑小副瀨富安宮 | 嘉義市 |
| 嘉邑小副瀨富南宮 | 嘉義市 |
| 朴子天旨堂 | 嘉義県朴子市 |
| 嘉邑西安宮 | 嘉義市 |
| 龍港村三太子壇 | 嘉義県東石郷 |
| 和美平安宮 | 彰化県和美鎮 |
| 德安宮 | 高雄市 |
※2020年7月現在。黄国哲氏作成

