高一生と音楽

高一生は獄中でラジオから流れる音楽を楽しみにしていることを手紙につづり、「畑の仕事も長らくしないので私の手の指が非常に軟かくなりました この指でピアノ引いたらさぞよい音楽が出来るでせう」とも書いていた。

彼は師範学校時代に東京音楽学校(現東京藝術大学)出身の教諭たちに指導を受けており、楽曲作りにも才能を発揮した。多くの歌を作詞、作曲したが、そのうちの14曲がいまに伝えられている。うち2曲は獄中から送ったもので、妻に捧げた「春の佐保姫」が遺作となった。

英傑さんは随筆に「父が子どもたちのために書いた「蛙さん」を歌うとき、私の心は感謝の気持ちでいっぱいになる」と記している。手紙とともに彼の音楽が、残された家族を支え続けた。

高一生は長男を埋葬した際、「私のお墓にはベートーベンの第5(交響曲第五番「運命」)とビールを」と菊花さんに話していた。映画撮影時、兄弟姉妹三人で「運命」を聞きながら、両親が眠るお墓にビールを注いだ。

最後に英傑さんがお墓に語り掛けた言葉は日本語だった。「家族みんな元気です。安心してください」。菊花さんは2016年2月、83歳で両親のもとに旅立った。棺に眠る菊花さんの顔はとても安らかだった。英傑さんはこのほど、自身の80歳の誕生日目前に父の手紙を世に送り出した。天国の両親と姉には「やりましたよ! 私はやり遂げました」と伝えた。

7月30日、李登輝氏が亡くなった。心からご冥福をお祈りする。李氏が推し進めた民主化が、台湾の少数民族の権利確立を大きく前進させたことを忘れない。この原稿が高一生をはじめとする指導者たちを奪われた少数民族の苦難に思いをはせるきっかけになれば幸いである。

墓誌 :「ツォウ族のために命をかけ、愛あり、恨みあり、そして悔いなし」。白色テロ下で高一生は民族のタブーとなった。1994年、初めて墓碑が建てられ、墓誌銘が刻まれた(筆者撮影、2012年)
墓誌 :「ツォウ族のために命をかけ、愛あり、恨みあり、そして悔いなし」。白色テロ下で高一生は民族のタブーとなった。1994年、初めて墓碑が建てられ、墓誌銘が刻まれた(筆者撮影、2012年)

参考文献

  • 『高一生 (矢多一生) 研究』第1~9/10号(高一生 (矢多一生) 研究会、2005-2008年)
  • 『台湾原住民族の音楽と文化』(下村作次郎, 孫大川, 林清財, 笠原政治 編、草風館、2013年12月)
  • 『人権への道 レポート・戦後台湾の人権』(財団法人陳文成博士記念基金会)

バナー写真:現存する最後の家族写真(1947年撮影、高英傑氏提供)