すき焼きを愛した台湾のインテリたち

1895年の台湾の日本への割譲で牛肉料理が高級レストランで提供されるようになり、徐々に民間にも普及していった。『台湾日日新報』1911年10月24日号には、台南公館(現・台南公会堂)にて神戸牛のすき焼きの提供を始める旨の告知があり、同年12月12日号には、台北の府前街(現・重慶南路)に「松尾牛肉店」がすき焼きの店を開いたとの報道もある。

「台湾日日新報」1911年12月12日の記事(国立台湾文学館提供)
「台湾日日新報」1911年12月12日の記事(国立台湾文学館提供)

日本統治期に台湾で活躍した知識人にも、すき焼きは好まれた。非暴力反日運動・民族運動・民主化運動のリーダーとして活躍した林献堂は、定期的に友人たちと「鋤焼会」という集まりをもっていたという。また龍瑛宗の日本語小説「龍舌蘭と月」には、田舎の温泉街に住む男が「わたしのところへ寄つていらつしゃい。なんにもないけれど、鶏ぐらゐは潰すよ。鋤やきをやらう」と言って旅人を自宅に招こうとするくだりがある。台南の作家・呉新栄の戦前の日記にも、会食ですき焼きを食べたという記述がしばしば出てくる。

反日運動を展開した人物でさえ日本由来のすき焼きを好んだ点から、「文明開化」とはまた違ったすき焼きの意味づけが見えてくるかもしれない。鍋料理は皆が身分の別なく、楽な姿勢で畳に座り、一つの鍋を囲んで、思い思いに具をつつく。そこで天下国家が論じられる事もままあったろう。市民たちが自由に議論を交わす場としての機能を担っていたのではないだろうか。林献堂が開いていた「鋤焼会」や作家同士の会食は、そういう性格をそなえていたのではないかと考えられるのだ。

現代台湾の「寿喜焼」を食す

現代の台湾にもすき焼きは伝えられている。「寿喜焼」の字を看板にかかげたレストランは少なくない。台湾では値段も安く、おおむね300台湾ドルから500台湾ドル(約1100円~1800円)程度で、肉も野菜も食べ放題なのが基本スタイルとなっている。

我が家の近所にある「一番地」という店は4種の米国・ニュージーランド産牛肉のほか、豚肉、鶏肉、羊肉も取り揃える。さらに色とりどりの野菜、生卵、コシヒカリのご飯やうどん、ソフトドリンクなども500台湾ドル(約1800円)で食べ放題・飲み放題だ。

和風のホールには若者や子供連れの姿が目立つ。席に着くと、まず店員さんがテーブルの中心に置かれた浅い鉄鍋に玉ねぎと割り下を入れ、IHの電源を入れ、肉を一揃い持ってきてくれる。日本の専門店ではきれいな着物姿の店員さんが丁寧に肉や野菜を焼いてくれたりするが、こちらではこの先すべてセルフサービスで行う。

玉ねぎが飴(あめ)色になり、湯気と共に香ばしい香りが立ってきたところで肉を投入。かなり薄くスライスされているので、あっという間に火が通る。手早くつまみ上げ、あらかじめ茶碗に割り入れておいた生卵に軽くひたしてから口に入れる。

肝心の肉質だが、米国のランク付けでいうプライム(一等級)やチョイス(二等級)の霜降り肉が使われているとあって柔らかく、脂も適度に乗っていてとてもおいしい。副菜には豆腐や白菜などの他、日本ではあまり食べないヘチマや韓国料理のトッポギなども。お客さんを観察すると、小皿に取った具を何もつけずにそのまま口に運んでいる人も多い。これは生卵を食べない人が多いためだ。卵を鍋の中に割り入れて、熱が通ってから食べたりもする。台湾では灰汁(あく)を取らない。上述の店にも灰汁をすくう網が置いておらず、皆、スープが濁るに任せている。台湾人の妻は「台湾人はこれに栄養があると思っているのよ!」と言っていて、そういう発想もあるのかと驚いた。