関東風と関西風の融合形
日本では割り下を使って甘辛く材料を煮込んだ「関東風」と、鍋に牛脂をひいて直接肉と野菜を焼き、醤油と砂糖と野菜から出る水分で味を調節する「関西風」があるが、現代の台湾はほとんどが関東風である。しかし、上述の店では最初に玉ねぎを炒めたり、白菜をたくさん使ったり、締めにうどんを入れたりするなど、関西的な要素も見られ、双方の良いところをうまく融合させている。
ちなみに日本統治期の「鋤焼」は、関西風が主流だったものと推測される。戦前にすき焼きを好んでいた前出の呉新栄は1960年1月28日の日記に「私が作るのは日本式であり、野菜と肉の他には砂糖と油しか使わない」と記している。また当時の移住者には西日本出身者が多かったことも関係しているようだ。
米兵相手に広まったステーキ
筆者が住んでいる町・台南には、昔堅気の個性的なステーキ店がいくつかある。店構えはいたって簡素で、歩道と店内の仕切りさえなかったりする。値段はリーズナブルで、サラダやポタージュやアイスクリームが食べ放題の店もあり、たくさんの常連客がついている。
筆者がよく行く「赤崁牛排」は、深夜2時ごろまで営業している創業40年のステーキ店だ。紅いプラスチックのスツールに腰かけ、シンプルな注文票に記入して、20代のときこの店を開いたという白いコックコート姿の店主に渡す。しばらくすると店主が、ステーキが載ったアツアツの鉄板を運んできてくれる。牛の姿をかたどった、黒くてかっこいい鉄板だ。鉄板と肉の間にはモチモチした太い麺と目玉焼きが挟まっていて、こういうスタイルは台南が発祥だとも聞く。肉を食べ終わるころには麺がデミグラスソースや黄身と絡み合い、しっかり味がついている。
ステーキが庶民の間に広まるきっかけになったのは、1950年代から70年代にかけて台湾に駐留していた米兵だったと考えられる。昔は牛肉そのものが高級食材だったが、彼らの胃袋の欲求を満たすために、基地周辺には洋食店がいくつもできた。台南では飛行場の近くにあった「快楽小館」という店が先駆だそうだ。

