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1952年5月、平和記念公園に建設中の原爆慰霊碑。周りにはバラックの民家が立ち並ぶ。遠くに見えるのは原爆ドーム。
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被爆者(右手前)から取材するチェコ、デンマークなど欧州4カ国のジャーナリスト。あの日の体験や核廃絶を願う被爆者の思いは、海外メディアを通じても広がっている(2012年11月撮影)。
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東京電力福島第1原発での炉心溶融事故から1カ月後の2011年4月、福島県飯舘村で、牛舎内の乳牛にエサを与える原田貞則さんと妻の公子さん。原発から約40キロ離れていたが、放射能汚染がひどく間もなく村を挙げて離村を余儀なくされた。精魂込めて育てた牛とも別れ、夫妻の暮らしは根こそぎ奪われた。
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「被曝して髪が抜けても最初は理由が分からなかった。産業医は検診すらしてくれなかった」―米エネルギー省との公聴会で、酸素吸入器をつけたままサバンナ・リバー・サイト核施設での体験を訴える元労働者(サウスカロライナ州エイケン市/2001年撮影)。
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放射能汚染がひどいため、チェルノブイリ原発事故翌年の1987年にブルドーザーで民家が埋められたベラルーシ・ゴメリ州の村。「67軒・185人が住んでいた」との2つの標識だけが、村の存在を示す唯一の証しだ(2001年撮影)。