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東路軍と江南軍のルート
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元軍の船が見つかった鷹島神崎港沖を望む(筆者撮影)
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(左上)鷹島神崎港で潮干狩り中の人が見つけた「管軍総把印」。モンゴル文字が刻まれ、中隊長クラスの将校の物とみられる(右上)朱塗りのくし。船上生活の跡がうかがえる(下)元軍兵は銅製の帯金具のついたベルトを締め、刀をつり下げていた=いずれも長崎県松浦市立埋蔵文化財センターで(筆者撮影)
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國學院大學の池田榮史教授(筆者撮影)
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当時、琉球大学教授だった池田榮史氏(現國學院大學教授)の鷹島海底遺跡の発掘調査の様子(松浦市教育委員会提供)
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鷹島1号沈没船俯瞰(ふかん)図(松浦市教育委員会提供)
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元の軍船推定復元CG(松浦市教育委員会提供)
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2022年に引き揚げられた1石型木製いかり。通常と異なり、いかり石は1本だった(松浦市教育委員会提供)
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2本1組のうち1本のいかり石=松浦市立埋蔵文化財センターで(筆者撮影)
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1994年に見つかった4本のいかりは南側を向いていた=松浦市立埋蔵文化財センターで(筆者撮影)
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伊万里湾を襲った台風と鷹島
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幕府軍による元軍掃討戦、『蒙古襲来絵詞(模本)』より(九州大学附属図書館所蔵)
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幕府の本陣が置かれた龍面(りゅうめん)庵(筆者撮影)
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高台から阿翁浦港を望む(筆者撮影)
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兵衛次郎(ひょうえじろう)の墓。兵衛次郎は元軍に襲われた対馬から、急を告げるため大宰府に飛んだ後、鷹島に転戦し戦死した(筆者撮影)
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東路軍と江南軍の行方