ニッポンの城

【日本100名城®】長野県・上田城

歴史

上田城は1583年に真田昌幸(さなだ・まさゆき)が築城した真田氏の居城。1585年、1600年と2度にわたって徳川方の大軍を退けたことで知られる。

長野県・上田城

  • 築城年:1583年
  • 初代城主:真田昌幸
  • 主な見どころ:西櫓(やぐら)、南櫓、北櫓、東虎口櫓門、尼ケ淵(あまがふち)など
  • 料金:上田城南櫓・北櫓・櫓門 観覧料300円(一般)
  • 所在地:長野県上田市二の丸
  • 公式HPなど:上田城跡公園

徳川方の大軍勢を2回退けた名城

真田氏は武田信玄の下で頭角を現し、現在の長野県東部から群馬県北部まで勢力を広げた。その後、昌幸の代になって徳川家康に近づき、その援助を受けて1583年に上田城を築城したものの、沼田城(群馬県)を巡って家康と決別した。徳川方7000人の攻撃を受けた上田城の真田方の兵力は2000人だったが、地の利を生かした巧みな戦略を用いて退けた。1600年には、関ケ原に向かう途中の家康の後継者、徳川秀忠(ひでただ)の軍勢3万8000人の攻撃を、上田城に立てこもる2500人の兵力で撃退した。この結果、秀忠は関ケ原の合戦に間に合わずに家康は激怒。上田城は取り壊され、真田昌幸は次男の幸村(ゆきむら)とともに高野山に幽閉された。上田は真田氏の中で唯一徳川方についた長男の信之(のぶゆき)が受け継いだが、隣接する松代城に領地替えとなった。その後、徳川幕府の命で新しく上田の領主となった仙石忠政(せんごく・ただまさ)が城の復興に取り組み、石垣の整備や櫓の再建などを行った。

現在は上田城跡公園として整備され、16世紀当時は千曲川の分流が流れて天然の堀となっていた尼ケ淵や、復元された櫓などから、日本屈指の戦歴を誇る城の歴史を感じることができる。

尼ケ淵から見る西櫓(PIXTA)
尼ケ淵から見る西櫓(PIXTA)

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バナー写真:上田城(PIXTA)

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