芸術・文化は不要不急か(3):岐路に立つ伝統演劇を未来につなげるために考えるべきこと

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歌舞伎、能、文楽などの伝統演劇は、若手育成や新たな観客層開拓に大きな課題を抱えている。芸を未来につなげるには、さまざまな世代から支持を得るためにジャンルの壁を超えた取り組みが必要だ。コロナ後に正念場を迎えると児玉竜一早稲田大学教授は語る。

児玉 竜一 KODAMA Ryūichi

早稲田大学教授・演劇博物館副館長。1967年兵庫県生まれ。早稲田大学大学院から、早大助手、東京国立文化財研究所、日本女子大学などを経て現職。専門は歌舞伎研究と評論。編書に『能楽・文楽・歌舞伎』、共編著に『カブキ・ハンドブック』『映画のなかの古典芸能』など。朝日新聞で歌舞伎評担当。

抗議の声を上げにくい

3回目の緊急事態宣言発令となる4月25日を前に、舞台関係者は公演中止に向けた対応に追われた。千秋楽を繰り上げた公演も多く、引退を発表していた人形浄瑠璃文楽の人間国宝・吉田簑助(87歳)の大阪市・国立文楽劇場での現役最後の舞台も、当初25日だった千秋楽を1日早めた。「簑助は、文楽の過去100年を見てもトップ3に入る女形人形遣いです。25日の舞台を楽しみにしていた人は多かったでしょう」と児玉竜一・演劇博物館副館長は言う。

「政府が宣言を出すと決定したのは、23日金曜日の夜。これまでと同様、今回も事業者との事前調整はなく、対応を相談するために土日に役所に電話をしてもなかなか通じない事態でした。それでも、いきなり休演を求めるとは何事かと抗議の声は上げにくい。昨年来、そうした演劇界からの抗議が、非難されて炎上する様を見てきたからです」

今回、政府・自治体は、「社会活動の維持に必要なもの」を除き、イベントなどの無観客開催を要請した。「それに対して、都内の寄席は、『社会活動の維持に必要なもの』に該当すると判断したとして興行を続けました。 (落語らしい機知に)異を唱える人間はやぼに見えるというスタンスがあってこその見事な決断です。東京都から改めて要請を受け、結局休席としましたが、とはいえ商業演劇が同じことをしたらひどいバッシングに遭ったでしょう」

政府が文化・芸術を社会でどう位置付けるかの方針を持たないことが、こうしたバッシングを生む土壌になっていると児玉氏は考える。2020年3月、安倍晋三首相(当時)、小池百合子都知事がそれぞれ会見で、「文化・芸術の損失を税金で補てんするのは難しい」という趣旨の発言をした。コロナ禍が予想以上に長引いたために、最終的には大規模な補正予算の中で支援策が講じられたが、文化を守り支えることが大事だという為政者のメッセージは見えないままだ。

歌舞伎・能・文楽、それぞれの難局

コロナ禍は、世界中で全ての演劇興行が停止するという未曾有(みぞう)の事態を生んだ。「100年前のスペイン風邪の時には、ロンドンなどの劇場は閉めた一方で日本、ニューヨーク、パリでは公演を続けていたし、戦時下の日本でも、興行は継続していました」

歌舞伎、文楽、能狂言などの伝統演劇は、文化継承の面でも大きな岐路にあることが、改めて浮き彫りになった。児玉氏によれば、危機的状況はジャンルによっても差異がある。

東京・歌舞伎座では、2020年3月から8月まで公演が中止されたが、それ以降は徹底した感染予防対策を採り、一部休演を挟みながらも上演を続けている。

「歌舞伎を支えるのは松竹です。一私企業が伝統演劇を支える仕組みは、世界でも例がありません。役者のみならず、周辺業者、技術スタッフなども松竹と一蓮托生(いちれんたくしょう)です。国の支援が十分でない以上、コロナ禍で彼らを支えるには、観客数を制限してでも、できるだけ公演を続ける以外にありません。一方、能楽師は個人事業主で、公演だけではなく謡などのレッスン料で生計を立てている。コロナ禍で公演が減っただけではなく、対面レッスンがままならないことで、より厳しい状況にあります」

一方、文楽は長らく存続の危機にある。明治末期から文楽興行の経営権は松竹が持っていたが、戦後、文楽は一貫して赤字で、その損失を補てんする財源だった映画も斜陽になったために、1962年に手放した。翌年文楽協会が発足し、国、大阪府、大阪市などからの助成金で運営する体制が確立した。大劇場での公演には適さず黒字化が難しい中で、2012年、橋下徹大阪市長(当時)が、文楽協会への補助金を見直す方針を打ち出し、実際に削減されて深刻な危機に陥った。また、ベテランの太夫、人形遣いの引退が相次ぎ、後継者の育成も急務になっている。

全国津々浦々に劇場があった時代

2020年7月、「国際アート・カルチャー都市」を目指す豊島区では、区長の強いイニシアチブの下で、映画館を含め8つの劇場が入る複合施設「ハレザ池袋」をオープンさせた。宝塚歌劇、歌舞伎を上演する劇場も備えている。一方、21年4月、兵庫県豊岡市の市長選で演劇誘致による街づくりを公約に掲げた現職市長が落選した。

「劇場、演劇祭に脚光が当たることで、街の経済の担い手になっていけば住民の見方も変わるのでしょうが、そのレベルまで育つには時間がかかります。特に、目の前の生活の方が大事だというコロナ禍のタイミングでは広い支持を得るのは難しい。ただ、豊島区の例を見ると、時宜にかない、劇場街を地域の特色として育てていくという強い促進力があれば、難しくても不可能ではないと感じます」

地方に演劇の拠点を作ろうとする場合、かつては日本全国に劇場があったのだという記憶を取り戻すことも大事だと児玉氏は言う。

「歌舞伎隆盛の江戸時代、幕府公認の『江戸三座』と呼ばれた市村座、中村座、森田座以外にも、全国津々浦々に芝居小屋がありました。大阪、京都、名古屋など主要都市はもちろん、寺社境内などに建てた『宮地芝居』の仮設小屋もありました。仮設といっても期限が来れば奉行所に届け出さえすればまた続く、事実上の常設です。19世紀初頭には、諸国に約130もの芝居小屋が存在していたという記録があります。そこで演じるのは、主に旅回りの役者たちです。また、地方の農村でも寺社境内に舞台が作られ、住民が歌舞伎や人形浄瑠璃を演じました。1960年代に実施された全国調査によれば、現存しているもの、過去に存在していた証拠があるものが3000件に上りました」

江戸後期、老中水野忠邦主導で推し進めた緊縮政策の「天保の改革」で、歌舞伎は弾圧された。「日本橋近辺、(東銀座)木挽町にあった三座を、浅草に移転させ、七代目市川団十郎、二代目中村富十郎をそれぞれ江戸、大阪から追放しました。水野は歌舞伎の取りつぶしをもくろんでいたが、北町奉行・遠山金四郎が庶民の娯楽は必要だと抵抗し、芝居小屋を守ったとされています」

「明治時代には、新演劇、新劇なども生まれ、昭和20年~30年代まではどんな地方でも何らかの形で演劇が根付いていました。その記憶が途絶えて、地方によっては、演劇は都市部だけのもので自分たちには関係ないという見方が優勢になってしまった。地方が演劇の街として特色を打ち出そうとする際に、自分たちと縁もゆかりもない文化を東京から移植するわけではなく、かつて身近にあった文化を取り戻すのだという発想、認識を持てるかどうかが、重要な点だと思います」

コロナ収束後に活路は開けるか

2020年、歌舞伎では休演中に「図夢(Zoom)歌舞伎」「アート歌舞伎」など、配信を中心にさまざまな試みがあったが、歌舞伎に関心のない若い世代に向けた「実験」は、コロナ禍以前から目立っていた。 

「例えば、4月に幕張メッセで開催された『超歌舞伎』は、中村獅童が初音ミクと共演するイベントで、すでに5年目です。恐らく歌舞伎を見たことのない何万人もの若者たちが観劇して、ライブ配信も含め、好評です。また、これまで『ワンピース』『NARUTO』『風の谷のナウシカ』など、世界的人気のマンガを歌舞伎にして上演しました。ただ、『超歌舞伎』にしてもマンガ原作の新歌舞伎にしても、同じ観客が古典の舞台に足を運ぶかというと、そう簡単にはいきません。興味が分断されてしまったことが平成以降の大きな課題です」

コロナ後に、これまでの観客層が観劇習慣を取り戻して、劇場に戻ってきてくれるのか。舞台関係者は不安に感じているという。新たな観客の獲得は一層大事になってくる。

「歌舞伎をはじめ、舞台の入場料は決して安くありません。各業界が、将来への投資だと思って、若い世代がもう少し安く見られる共通の制度を考案する必要があります。大都市圏に生まれた裕福な子どもだけが演劇になじみ、地方の子どもは一生演劇に縁がないという構造が固定してしまうと、演劇界に未来はない」と児玉氏は強く言う。

「同じ時間に同じ空間を占めて同じ方向を向き、同じものを見る演劇文化をどうやって支えていくのか。携帯の画面だけを眺めて世界を見ているつもりでいる若者を強制的にでも引っ張り込むすべを考えないとなりません。ジャンル間の壁を壊す工夫もほしい。ミュージカル、新劇しか見ない、歌舞伎、能しか行かないなど、個人の好みはもちろんあります。ただ、ミュージカル好きな人の中に歌舞伎を好きになる人もいれば、新劇に向く人もいるはずです。自分で演劇をやるけれど、他人のやるものは見ないという層もいます。あれもこれもと関心を育てて、(観客の)人流を攪拌(かくはん)、循環する仕組みを考えてほしい」

芸の継承にもっと敬意を

伝統芸について児玉氏がもっとも危惧しているのは、芸の継承に対する敬意が失われつつあることだ。

「かつては、自分が知らない世界でも、職人芸、芸の継承を尊重する社会的コンセンサスがありました。ところが、いまでは自分が認知していないことは存在しないも同然のように考える人が多い。また、どのような継承であれ、昔のままでは工夫がない、伝統は革新の連続だなどと軽々しく口にする人も増えています。マスコミ、世間もそうした目新しい試みだけに注目するので、地道に芸の鍛錬、継承に取り組んでいる人たちにスポットが当たらない。文化を下支えする人に対する敬意、尊重の念が“サイレントマジョリティー”から失われれば、堤は崩れてしまうでしょう」

「歌舞伎も能も文楽も、支えているのは現代に生きる人たちで、その意味でも常に時代と共に歩んできました。カンフル剤として、新たな実験をすることには一定の意味があるが、江戸時代から400年間連綿と続いてきた文化の蓄積を無視することは、建設的ではありません。これまでも、変えなければならない部分、守らなければならない部分の両輪で進んできたのです。根こそぎ新しくしても、伝統文化を守ったことにはなりません」

なぜ「伝統」を守らなければならないのか。「疑問を感じる人には、こう問い掛けたい。人間の一生はせいぜい80年、90年。一人の人間がいくら長く生きても追いつかないほど年月を重ねてきた文化、芸を前にしたときに、あなたはどう感じますかと。伝統という言葉にとらわれずに、考えてみてほしい」

最後に、歌舞伎研究者である児玉氏に、改めて歌舞伎の魅力を聞いてみた。

「まず、特殊なものではなく、演劇として普遍的な魅力があります。その上で、長く見続けることで、人生の歩みとともにその時々の面白さを発見できます。役者が成長していく姿をリアルタイムで見ながら、この役は先々代や先代でも見たなとか、あるいは老名人の姿を見ながら若い時は下手だったなど、さまざまな時間旅行ができる。演じられるのは中世、江戸時代の昔から、日本中の人々が愛してきたさまざまな物語です。テレビ時代劇や映画の中に、歌舞伎の要素が入っています。舞台を見れば、今を生きる私たちとどこか根幹でつながっていると感じることができるはずです」

<参考情報>

*早稲田大学演劇博物館Lost in Pandemic 」:コロナ禍によって失われた/失われなかった公演や新たな表現の可能性に光を当てるとともに、過去の疫病や感染症を演劇がどう描いてきたかを示す資料を発掘・紹介する企画展を開催中。

バナー写真:昨年4月、公演休止中の歌舞伎座に残された市川團十郎白猿襲名披露公演の掲示。襲名披露公演は延期されている=2020年4月7日、東京・銀座(時事)

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