今日は何の日:On This Day in Japan

今日は何の日:5月24日

デストロイヤー、力道山に4の字固め

1963(昭和38)年 ワールド・レスリング・アソシエーション(WWA)世界ヘビー級選手権試合が東京体育館で行われ、米国の覆面プロレスラー、ザ・デストロイヤーが力道山に必殺技「足4の字固め」をかけた。テレビ中継され平均視聴率は64%で歴代4位。当時、日本人には見慣れない技が評判になった。子どもがプロレスごっこで、まねできる単純な技ながら、かけられた方は思わず悲鳴を上げる痛さ。ザ・デストロイヤーはこの試合で一躍、人気悪役レスラーになった。

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その他の出来事

豊臣秀頼が方広寺再建、鐘銘事件に発展

1614年(慶長19年4月16日) 豊臣秀頼が、焼失した京都・方広寺を再建。秀頼は亡父秀吉追善供養のため慶長7年、方広寺大仏殿の再建に着手したが、年末の失火で頓挫。あらためて7年後に事業を再開。この日に巨鐘の鋳造をもって竣工した。供養の実施について徳川家康の了承を得ようとしたところ、家康は鐘銘の中の「国家安康」「君臣豊楽」の2句が「安の一字で家康を分断した上、豊臣を君として楽しむという意図が隠されている」との解釈を突き付けた。さらに、大坂城に浪人を集めて謀反を企てていると難詰するなどして大坂冬の陣に追い込んだ。

十勝岳が大噴火 144人が犠牲

1926(大正15)年 北海道のほぼ中央に位置する十勝岳(2077メートル)が1日で2度の大噴火を起こし、死者144人を出す惨事となった。特に午後4時すぎに起きた2度目の大爆発で中央火口丘の北西部が破壊され、崩壊物は北西斜面をなだれのように流下。硫黄鉱山の平山鉱業所宿舎をのみ込み、さらに急速に積雪を溶かして二次泥流を生じ、美瑛川と富良野川に分かれて駆け下った。富良野川流域で死者・行方不明者137人、美瑛川流域で同7人と、多くの人命を奪った。

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日本映画で初のキスシーン

1946(昭和21)年 佐々木康監督の映画『はたちの青春』が封切りされた。日本初のキスシーンがある映画。撮影後、主演の幾野道子は「仕事だと割り切って、目をつむって夢中でした」と語り、相手役の大坂志郎は「接吻とは消毒臭いものでした」。演じるにあたり2人の間にオキシドールを染み込ませた小さなガーゼを挟んでいた。キスシーンが撮られたのは、連合国軍総司令部(GHQ)の指導による。「日本人が恋愛でもこそこそせず、堂々と自分の欲望や感情を人の前で表せることが、日本人の思想改造に不可欠」との思惑があったという。

第3回アジア競技大会が東京で開幕

1958(昭和33)年 東京で第3回アジア競技大会が開幕。主競技場である神宮外苑の国立霞ケ丘陸上競技場(旧国立競技場)で開幕式が行われた。20カ国・地域から1692人が参加。実施されたのは柔道、陸上競技、水泳、サッカーなど13競技。日本は参加国中最多である67個の金メダルを獲得した。閉会式では式典部長の松沢一鶴(競泳選手・指導者)により、光を使って別れの雰囲気を醸し出す演出が取り入れられた。この演出は国際オリンピック委員会(IOC)委員を驚かせ、60(昭和35)年ローマ五輪の閉会式でも取り入れられた。

円生、落語協会脱退し新組織設立

1978(昭和53)年 真打昇進の厳正化を主張して落語協会を脱退した三遊亭円生らが落語三遊協会を結成した。円生は古今亭志ん生や桂文楽らと並んで戦後を代表する落語家。65(昭和40)年から落語協会会長を務め、72(昭和47)年に会長職を柳家小さんに譲った。円生は真打への昇進に厳しく、小さんが会長に就任した時点で、二つ目を10年以上務める「待機組」が40人もいた。小さんは翌73(同48)年に20人を真打に上げることを理事会に諮り、賛成多数で大量昇進が可決。78(同53)年には10人昇進を理事会で決めた。円生は「真打の乱造による落語の質の低下」などを理由に、協会を脱退し組織を立ち上げた。

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北海道 落語 アジア大会 プロレス