交渉再開、それでも遠いプーチン年内来日
北東アジア情勢、米国と中国の影響を含めた日露関係の展望

クジミンコフ・ヴィクトル【Profile】

[2015.10.14] 他の言語で読む : Русский |

やむを得ぬ中露接近

1996年に中露両国は「戦略的パートナーシップ」を表明し、2001年に「中露親善友好協力条約」を締結した。その3年後である2004年に4300キロに及ぶ国境画定に同意し、領土問題に終止符を付けた。しかし、それ以降に両国のパワーバランスが崩れた。その背景には、中国経済の飛躍的な発展があった。

その以降の極東におけるロシア軍の改革や動向は、中国の台頭を意識したものであると思われる。例えば、2010年末に新設された東部国内軍管区は、従来の極東軍管区から管轄領域を拡大したものであり、中国を視野に入れた軍事行政単位再編であった。また、2012年5月7日にプーチン大統領は軍事政策に関する大統領令を公布して、北極及び極東地域の海軍増強を指示した。これは将来的に中国による北方海洋進出を念頭においたものだという見方が強い。日本周辺においてもロシア軍の動きが活発化している。2014年度にロシア機に対する自衛隊の緊急発進は前年より114回も多い473回であった。これも日本ではなく中国を意識した活動であると思われる。

しかし、2014年春以降、プーチン政権がウクライナ危機により外交孤立を深めたため、ロシアは中国と急接近した。それに対して、一部の専門家はプーチン大統領が「中国重視」の政策を取ったと分析した。その根拠になっているのが、2014年5月20日に上海で開かれた中露首脳会談と合同海軍演習を通じて、両国の政治的な蜜月ぶりが対外的に演出されたことである。翌日にロシアの国営企業であるガスプロムと中国石油天然ガス集団(CNPC)は天然ガス供給契約を締結し、ロシアは2018年から30年間にわたって年間380億位方メートルの天然ガスを中国に供給することで合意した。

ここで確認しておきたいのは、ウクライナ危機後、ロシア外交の重心がヨーロッパから中国、さらにアジアに移行したわけではないことである。ロシア人は自分たちがアジア人というより、ヨーロッパ人であると考え、ロシア外交においても、ヨーロッパ中心主義が根強く定着している。また、経済的にもロシアとヨーロッパの関係は非常に深い。従って、ロシア側が西側諸国との関係改善を望んでいることはいうまでもない。例えば、9月23日にロシア新聞でメドベージェフ首相は「新しい現実:ロシアとグローバルな挑戦」という論文を発表した。その中で、メドベージェフ氏は、体制改革の必要性をアピールした上で、「現在、西側諸国との関係において危機的な状況にもかかわらず、協力関係復活は不可避である。ロシアはヨーロッパ大陸から経済的にも政治的にも、また精神的にも去ることを考えていない」と強調している。

従って、プーチン大統領は「中国重視」というより、ロシア国内経済の利益のために「八方美人外交」を推進していると考えられる。欧米の制裁下にあるロシアは、中国との関係拡大で自国経済への打撃を回避する方針を取っている。しかし、ロシアは中国への過度な依存を警戒して、日本やベトナム、インドなどのアジア太平洋地域の諸国と戦略的な関係を強化し、安全保障やエネルギーの分野でバランスを保とうとしている。それが、ロシアの東方外交の柱といえよう。

日本の対露制裁と北方領土問題

2014年3月中旬にロシアによるクリミア編入を受けて、日本はG7の一員として、対露制裁措置を取った。クリミア編入がプーチン大統領による政治決断だったため、大統領は日本の対露姿勢の変化を真剣に受け止めた。日本がウクライナ問題でロシアに制裁を課したことについてプーチン大統領は、5月24日にサンクトペテルブルグ国際経済フォーラムで「日本が制裁に加わったと聞いて驚いた。日本は北方領土問題の話し合いも中断するつもりなのか」と発言した。強い不快感を示しおり、北方領土交渉への影響は避けられないという認識を明らかにしたといえる。そして、ロシア外務省は8月末にモスクワで予定していた日露外務次官級協議を延期すると発表した。ロシアが領土問題を交渉する考えがないというシグナルに他ならない。

2015 年7月17日、北京の中南海で、李克強首相(右)と会談する谷内正太郎国家安全保障局長(左)(© Jiji)

日本政府は、2014年3月と5月に2回にわたって国家安全保障局長である谷内正太郎をロシアに密かに派遣し、ロシアと対話する姿勢に変わりがないことを伝えた。また、11月に北京で開催されたAPEC首脳会合の際に実現された日露首脳会談で、日本側はロシアと対話する意思を示したが、ロシアの姿勢は硬直する一方だった。

2015年4月16日に国民の質問に答えるテレビ番組に出演後、記者団からロシアがウクライナのクリミア半島を編入したことが北方領土問題に影響するかを問われたプーチン大統領は、「ロシアは日本側と対話をする用意があるが、日本側の動きで、事実上頓挫している」と語った。ウクライナ問題をめぐる日本の対露制裁で、領土交渉を続ける環境が損なわれたと示唆したと思われる。

4月28日の記者会見で内閣官房長官である菅義偉は、ロシアから招待されていた5月9日の対独戦勝70周年記念式典に安倍晋三首相が出席しないと発表した。政府関係者によると、安倍政権は直前まで対応を検討したが、ウクライナ問題でロシアと対立する米国を刺激するのは得策ではないと判断したという。これによって、ロシアの対日姿勢がさらに硬直することになったが、ロシアが経済的に窮地に追い込まれている状況では、日本との対話を中断するまでには至らなかった。

領土問題を避けるためのあの手この手

ただし、日本との対話を継続する際に、領土問題が出て来ることはクレムリンでは承知の上だったため、領土交渉を避けるために交渉事項をさらに増やすという対策がとられた。日米同盟が強化された状況では、中国や北朝鮮のカードは切りにくくなったため、ビザなし交流と漁業問題といった交渉事項を増やす対策がとられた。

2015年5月に2015年度最初の国後島と色丹島に日本人が訪問するビザなし交流が「ロシア側の事情で」中止となった。ビザなし訪問での規則の厳格な適用は対独戦勝の式典を欠席した安倍首相への警告だった。次は、サケ・マスの流し網漁を禁止する法案の採択であった。この漁業制限という手段は1955年に初めて使われた。当時、ロンドンでの日ソ国交回復交渉が行き詰まったので、ソ連政府は北洋海域に保護水域であるいわゆる「ブルガーニンライン」の設定を宣言し、北洋サケ・マス漁業が禁止されるに至った。日本の漁業界は政府に圧力をかけた結果、日ソ交渉が開始された。結局のところ、日ソ共同宣言と同時に漁業協定が調印され、「ブルガーニンライン」が廃止された。そのため、ビザなし交流の中止やサケ・マスの流し網漁を禁止は、いずれも日本政府へ圧力を加え、交渉事項を増やす目的があると思われる。

ロシアの不満

2015年8月22日にメドベージェフ首相は択捉島を訪問した。メドベージェフ氏は、大統領時代の2010年11月に、旧ソ連とロシアを通じて初めて北方領土である国後島に上陸した国家元首であり、12年7月にも首相として同島に上陸した。これらのメドベージェフ氏による北方領土訪問は、プーチン氏の指示なしにあり得なかったはずである。プーチン氏が領土問題解決への「意欲」を日本メディアにちらつかせる一方、メドベージェフ氏が強硬な言動を取る役割を分担する戦略と考えられる。その狙いは、領土問題を棚上げし、極東開発のために日本の支援を引き出すことにある。

2015年9月21日に岸田文雄外相は1年7ヶ月ぶりにモスクワを訪問し、ラブロフ外相と会談した。案の定、ラブロフ外相は領土問題の交渉を拒否したが、中断していた日露外務次官級協議を10月8日に再開することには合意した。ただし、次官級協議のロシア側担当者であるモルグロフ外務次官は北方領土問題について「第2 次大戦の結果北方四島はロシアのものとなり、敗戦国の日本には異を唱える権利がない」と強調しており、交渉の進展は期待できない。

経済協力では、9月22日にシュワロフ第1副首相が岸田外相と会談し、貿易や投資の拡大に向け意見を交換するなど積極的な対応を見せたが、北方領土問題で日本に譲歩するとは考えられないなど今のロシアの立場は強硬である。この背景には、日本が外交・防衛面で米国と連携を深めていることへの強い不満があり、オバマ米大統領は、日本の対露接近を執拗に抑止・干渉している。そのためロシアは、日本を米国の従属国であると見ているようだ。

9月28日にニューヨークで、日露首脳会談が行われた。その会談で、両首脳は領土問題について「双方に受け入れ可能な解決策を作成するため、交渉の前進を図ること」で合意し、平和条約についての交渉再開を確認した。プーチン大統領の年内訪日が実現されるかは未だに不透明のままであるが、その可能性は低いと考えられる。対露制裁に踏み切ったため、両国間の信頼関係が大きなダーメジを被っている。制裁前の日露関係を復帰させるには少々時間がかかるであろう。

(原文はロシア語と日本語)

バナー写真/アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議の少人数会合に臨む(左から)ロシアのプーチン大統領、中国の習近平国家主席、オバマ米大統領=2014 年11 月 中国・北京郊外の雁栖湖国際会議場 (© Jiji)

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  • [2015.10.14]

ロシア科学アカデミー極東研究所日本研究センター上級研究員 1997年 モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学歴史学部卒業 1999年モスクワ国立大学付属アジア・アフリカ諸国大学大学院政治学研究科修士課程修了 1999年—2001年大阪外国語大学大学院日本文部科学省国費 研究生 2004年神戸大学大学院法学研究科博士課程後期課程修了 博士号(政治学)取得 日本語での主な論文「北方領土問題の起源(米ソ対立からの考察)」神戸大学大学院法学研究会『六甲台論集』、「ゴルバチョフ政権の対日政策 1985・1991年」、「日ソ・ロ関係の変革期1940-2000年:アメリカと中国の影響を含めた戦後から冷戦後までの考察」

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