「死ぬつもりなんて毛頭ない」
小学校から高校時代までは体操に打ち込むが、大学に入ってトランポリンを始めた。そして2011年4月、3年生の時に事故は起きた。埼玉県越谷市で開催されたトランポリン大会決勝前の練習で、倉橋は技に失敗した。体操選手だった頃、「バランスを崩しても頭だけは守れ」と言われ続けていたため、「頭を守らなきゃ」ととっさに思ったが、間に合わなかった。
記憶が徐々に途切れて行く。だが「ゆっくり呼吸しろ」という声が耳に届き、懸命に空気を吸おうとした。駆けつけた救急隊員が体のあちこちを触りながら、「ここ分かりますか?」と尋ねる。意識がもうろうとする中、顔以外は感覚が無いことを悟った。「会場から担架で救急車に運ばれる途中、会場にいた子供たちが “目が開いているから大丈夫”と言う声が聞こえたので、 病院に着くまで絶対に目は閉じんとこ、と思って」
頸髄損傷だった。翌日、折れた首の骨を固定する手術を受けたが、中枢神経がダメージを受け、手足のまひは避けられなかった。「ICU(集中治療室)に入っていた時、家族らは “死ぬかもしれない” と聞いていたらしい。もちろん、私自身は死ぬつもりなんて毛頭ないし、手足が動かなくなっても車いすに乗れば何とかなるだろうと思っていました」
毎日のように見舞いに来る大学の友達と退院後に遊ぶ約束をし、病院内で笑みを絶やさない倉橋に、ある看護師が声をかけた。「泣いてもいいんだよ」
起きてしまったことは仕方がない。失ったものを嘆くより、これからできることを探した方がいいと考えていた倉橋は、「なぜ、泣かなあかんの」と思ったそうだ。
できることが増えていくのが楽しい
半年後に実家がある神戸市の兵庫県立リハビリテーションセンターに移り、大学に戻るための訓練に取り組んだ。指は曲げられないため、食事の際はスプーンやフォークを持つための「自助具」を使った。自助具を使い友人に手紙も書いた。歯磨きもできた。
「障害の程度は、けがをした時から1ミリも良くなることはない。でも、できることは確実に増えてきている。それがうれしくて」
リハビリの時間以外も自主訓練に取り組み、理学療法士を驚かせることもあった。「靴下は履きやすいようにひもがついているんですけど、ひもなしで履いてみたり、私より軽い障害の人でも一人では着けられないブラジャーを、助けを借りずに着けてみたり、工夫すればいろいろできるんです」
だが大変なのは排せつ。自律神経が機能しないため、尿はぼうこうにカテーテルを入れて排せつし、便は週に2回ほど時間を決めてトイレにこもる。「トイレタイムは5時間ぐらい。今の私にとってはこの時間が本当にもったいない。ただこればかりは短縮できない」
2013年10月、大学がある埼玉県の国立障害者リハビリセンターに移った。そして、センターの入所者でつくる車いすラグビークラブの部員から誘われて、練習を見に行き、その激しさに魅了されたのがこの競技を始めるきっかけだ。15年4月には県内のクラブチーム「BLITZ」に加入した。
現在は一人暮らしで、車の運転もする。勤務先の商船三井で週2日自助具を使ってパソコン作業をこなしながら、筋力トレーニングや車いすラグビーの練習に励む日々だ。
体重増やして「がんがん」ぶつかりたい
倉橋は、“マーダーボール” を心底楽しんでいると言う。「パラスポーツの中で、吹っ飛ぶぐらい本気でぶつかり合うことが許されるスポーツは、車いすラグビーの他にはないと思います。外国人選手は体が大きい上にパワーもスピードもあるので、ブロックしてぶつかった衝撃はすごい。その振動を感じながら、素早く次のポジションに移動する。私にはそれがとても楽しい」
「パラリンピックまではあと1年。体重をもっと増やし相手をがんがんブロックしたい。もちろん目標は金メダル。そして、車いすラグビー人口をもっともっと増やしたい」。事故で体の機能を奪われても、リハビリが厳しくても、涙をはねのけて日本代表への道を切り開いた倉橋。その眩(まばゆ)いばかりの笑顔は、東京パラリンピックで大輪の花を咲かせるに違いない。
(本文中敬称略)
インタビュー撮影:花井 智子


