プライバシーと監視社会リスク

——中国は人工知能(AI)や顔認証技術でも世界の最先端を走っています。中国の人たちは「監視社会」リスクをどのようにとらえていますか。

国家レベルではありませんが、最新の動きとしては、北京市が2018年11月、「ビジネス環境のさらなる改善の行動計画(2018-20年)」を発表しました。北京市内の常住人口の全員をカバーする「個人征信分」(個人信用スコア)を2020年末までに導入することが狙いです。

北京市が個人信用スコアをどのように取り扱うのか、現時点ではわかりません。しかし、最新テクノロジーと組み合わせれば、将来的にはいろいろな可能性が考えられます。例えば、中国の監視カメラネットワーク「天網」にはAIによる最先端の顔認証技術が搭載されています。中国メディアによると、その性能は「毎秒30億回の照合が可能」「一対一での識別制度は99.8%」だそうです。身分証番号とひもづければ、ほとんどの国民の日常行動などを監視カメラを通じて特定できるかもしれません。

日本の報道などを見ていると、英国の作家、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』(1949年刊)で描かれたような監視社会が中国に到来しているといった論調が目立ちますね。北京で中国の友人らに聞くと、もちろんプライバシーは大事だという声は多いです。一方で、監視カメラで犯罪が減るなど社会が安定するのであれば、それもいいという意見があります。つまり両論あるのです。

日本では想像できないかもしれませんが、中国では最近、犯罪組織による児童誘拐や人身売買が頻発し、大きな社会問題になっています。3歳児の誘拐の実話をもとに制作された映画『最愛の子』(原題:親愛的、2014年公開)が大ヒットしましたが、中国では年間20万人の子どもが誘拐されているとの報道もあります。一人っ子の多い北京では、幼稚園や小学校の登下校時に大勢の両親や祖父母が送り迎えし、周辺が大混雑する光景が見られます。誘拐が心配だからです。

私が大学で教えている学生たちに監視カメラについて聞くと、「誰が一番困るかといえば、犯罪をしようとしている人だ。まっとうな生活をしていれば、何の影響もない」との回答が多いのも事実です。

超学歴社会による人手不足、国際化が課題

——モバイル決済によるデリバリー・サービスなど「新経済」でも配達などで人手は必要です。中国の生産年齢人口(15〜59歳)は2011年をピークに減少し始めています。新経済システムの今後の課題について聞かせてください。

QRコード決済、高速鉄道、ネット・ショッピングと並んで中国の「新四大発明」と呼ばれた自転車のシェアリング・サービスも、乗り捨ての自転車を駐輪区域に並べ直しているのは「農民工」と呼ばれている農村からの出稼ぎ労働者たちです。この「労働集約型」のビジネスモデルは、宅配など新ビジネスの多くで採用されていますが、農民工は今後、加速度的に減少していきます。

他方、一人っ子政策の影響もあり、若年世代の高学歴化が加速しています。大学進学率は1997年の9.1%から、2017年には45.7%に急上昇し、同年の卒業生は800万人近くに達しました。中国は今、超学歴社会を迎えているのです。

科挙の文化もあって、大卒者はエリート意識が強く、就職口がなくても配達員とかはやりません。つまり労働市場はホワイトカラー市場とブルーワーカー市場で完全に分断されている状況です。農民工など若い労働力が不足していく中で、ビジネスモデルの根本的な変換が急務になっています。

中国新経済のもう一つの特徴は「内向き」だということです。中国では、情報監視システムが国家プロジェクトとして構築、運営されており、グーグルやフェイスブック、ツイッターなど海外サイトにアクセスすることを厳しく制限されています。インターネット環境は極めて閉鎖的です。

国内に巨大マーケットがあるため、サービスの多くが中国人ユーザーだけを意識した設計になっています。短期で訪れる外国人旅行者や出張者には使い勝手が悪いのです。スマホでタクシー配車やデリバリー・サービスを依頼すると、ほとんどの場合、運転手や配送スタッフから電話がかかってきて居場所を確認されるため、そもそも中国語で会話できなければ対応できません。国際化が今後の大きな課題といえます。

日本は令和を迎えキャッシュレス元年になるか

——日本は令和の時代に入り、キャッシュレス元年を迎えられるでしょうか。新経済で先行する中国との協力関係は築けるでしょうか。

日本では経済産業省が2018年4月に「キャッシュレス・ビジョン」を発表し、モバイル決済でメガバンクがQRコードの規格を統一することで合意するなど、キャッシュレス社会の実現に向けた動きが始まっています。今年10月に予定されている消費税の増税に伴う景気落ち込み対策として、キャッシュレス決済時のポイント還元も準備されています。

中国でのモバイル決済は、この数年間の実践でさまざまな経験を積み重ねてきました。本書で指摘したように、新経済には「光」の部分も「影」の部分もあります。中国の動向は、日本がキャッシュレス社会を推進していくうえで貴重な参考材料になるでしょう。

中国に住んでいると、まだまだ日本の技術が使えると実感しています。労働力不足の問題にしても、日本の得意とする自動化、機械化の技術、ノウハウが役立ちます。

私が注目しているのは、日本の優れた「おもてなし」文化です。本書にも書きましたが、中国から日本に旅行する人たちが2018年には838万人にも達し、中国人が「おもてなし」を知ったことが大きな転換点になっています。日本に行った友人たちは「なんて素晴らしい国なんだ。あんなサービスは中国にはない」と口をそろえて言います。

キャッシュレス社会の消費シーンではどんどん「無人化」が進んでいますが、その対極にある「おもてなし」を望み、おカネを払う消費者も出てきます。そこに新しいビジネスチャンスがあると思います。世界に誇れる「おもてなし」のノウハウを持った日本企業が中国の中に入っていけば、日中の新たな協力関係も生まれるのでないでしょうか。

バナー写真:インタビューに応じる中国・対外経済貿易大学の西村友作教授
本文写真:インタビューする泉宣道氏

キャッシュレス国家 「中国新経済」の光と影

西村友作(著)
発行 文藝春秋
発行日 2019年4月20日
文春新書 240ページ
定価 850円+税
ISBN 978-4-16-661213-0