街頭の貸しビデオ店における日本ドラマ時代

国交断絶後は、日本を恨む「愛国作品」が台湾映画界の主流になった。この時期には日本絡みの文化の多くが禁止された。日本映画の上映もできなくなった。ところが、日本の歌はかえって盛んにカバーされるようになった。政府の禁令の結果として皮肉にも、著作権概念に政府の管理が及ばない穴が開いてしまったわけだ。1970年代初頭からの十数年間は、著作を無視して日本のテレビドラマやバラエティー番組に中国語字幕を付けたビデオが、貸しビデオ店の1番の人気作品になった。私の家では毎週のように貸しビデオ店に足を運び、最新の「8時だョ!全員集合」、さらに「日曜劇場」や「火曜劇場」の刑事ドラマのビデオを懸命に探して借りてきた。今でも警察のコートを着た男性がこちらを振り返る冒頭のシーンや、テーマ音楽の旋律までをも覚えている。

72年の日華断交から88年の台湾での戒厳令解除まで、当局は日本のドラマや流行曲の流入を禁じていた。ところが台湾のエンターテインメント界ではかえって、重度のコピー現象が発生した。バラエティー番組中のコントはこぞって「8時だョ!全員集合」のハイライト場面をコピーした。歌謡界でも「松田聖子」や「中森明菜」をコピーした歌手や曲が登場した。夜市(夜の屋台街)では海賊版のテープを買うことができた。日本のオリコンランキングに登場した有名曲は、ほとんど全てそろっていた。

90年代になると、20歳から30歳にかけての人が貸しビデオ店を通して日本ドラマに触れるようになった。彼らは当時、人気の頂点にあった「浅野温子」「浅野ゆう子」「加勢大周」「柳葉敏郎」「石田純一」「吉田栄作」を知ることになった。台湾では連続ドラマが全30話もあるのに対して、日本のドラマは10話から13話とテンポが速い。これも、日本ドラマファンの作品への思い入れを強めることにつながった。「東京ラブストーリー」や「101回目のプロポーズ」は台湾のテレビ局が正規に日本ドラマを放送する前に、貸しビデオ店で大人気作品になっていた。ただし、貸しビデオのテープの品質は悪かった。何度もコピーを重ねた結果、ビデオの冒頭や最後が部分的に消去されているものも、よくあった。古い「水戸黄門」や「忠臣蔵」などの殺陣シーンが見られなくなっていることもよくあった。

私の母は生涯かけての「おしん」ファン

とてつもない旋風を巻き起こしたと言えば、日本で1983年に放送された「おしん」だ。超高視聴率の情報は、台湾にも早く伝わっていた。私の母のように戦時中に生まれた世代にとって、このドラマのエピソードの多くは、まさに自らの物語として語ることができる。台湾側は94年になり、やっと正式に放送権を獲得した。第1回の放送では、毎週金曜日に90分から120分の時間枠で何話分かがまとめて放送された。1カ月ほどして、毎週5日間放送されるようになった。それも、午後8時台のゴールデンタイムだ。「おしん」は台湾で電波を通じて放送された初めての日本ドラマだった。オープニング曲はジュディ・オングが歌う「永遠相信(永遠に信じる)」で、エンディング曲は欧陽菲菲(オーヤン・フィーフィー)が歌う「感恩的心(感謝の心)」だった。この作品は主音声と副音声で日本語か中国語かを選べた。「おしん」はその後二十数年間が経過した現在まで、台湾のケーブルテレビと電波放送で、絶え間なく放送されている。台湾語に吹き替えたバージョンまである。再放送の度に、私の母は、「おしん」の一生をもう一度たどったものだ。年配者を対象とする「おしんのふるさと」を訪ねるツアーは、これまでずっと人気の旅行商品だ。80歳を過ぎた母は、ことあるごとに「おしんの小さいころはこうだった」「おしんの家にも、同じような物があった」と言う。「おしん」に自分の母親の姿を重ねているのだろう。