1999年3月にネットエイジ代表の西川潔氏が「ビットバレー構想」を宣言してから、間もなく20年。ネット関連のベンチャー企業がコミュニティを作る先駆けで、ここから日本のネット企業の多くが世に出ていった。ベンチャー企業家と投資家を取り結ぶシステムの変遷と現状について、ヤフーの川邊健太郎副社長、YJキャピタルの堀新一郎社長に聞いた。
当初20社ほどが、20年で100倍の規模に
増澤 「ビットバレー」から間もなく20年。ITベンチャーの数はかなり多くなり、そこに従事する人の数も増えた。彼らは渋谷を中心としてコミュニティを作り、いわゆる「ベンチャー村」と呼ばれるようになってきている。日本のベンチャー村がどのようにして始まり、発展していったかを、まず振り返っていただきたい。
川邊 なぜベンチャー村が発生するのか。そこが重要だと思うのだが、実際に参加していた私の経験で言うと、3つぐらいの磁場があると思う。まず、情報交換や仕事のやり取りのために、同じ地域にいるベンチャー企業同士が場をつくり出すケース。2つ目はベンチャーキャピタル(VC)が投資先と出会うために場をつくり出すというもの。これは現在でも多く続いている。3つ目は大学の周辺ではないか。
ビットバレーは①と②の中間のようなものだったと思っている。西川氏のネットエイジもベンチャーだし、われわれも渋谷にいてベンチャー同士でつながった。そこにネットエイジ自体が投資をするようになってきたり、ジャフコなどの投資家が集まってきた。
VC主導の典型はNILS(New Industry Leaders Summit)やIVS(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット)。それから派生してICC(Industry Co-Creation)になったり、ビー・ダッシュ(B Dash Ventures)になっている。
大学周辺というのは、古くは工科系大学の周辺に製造業が立地する例もあったのだろうが、ネット関連ではやはりSFC(慶応義塾大学湘南藤沢キャンパス)が出来て、藤沢周辺にそのようなコミュニティが生まれた。その後東大、京大の周辺にもできてきている。
増澤 現在日本の「ベンチャー村」に参画している人々は、どのくらいの規模か。
堀 IVSとかビー・ダッシュのイベントには1回で600人から800人が参加する。ただこれらは起業家と大企業関係者、投資家を合わせた数。それらの組織で働いている人たち含めて考えると、数万人の単位でいると思う。
川邊 ビットバレーの最初は20社、30社ほどだった。それが2000社、3000社という規模になっている。
新規事業を生み出すエコシステムに発展
増澤 20年経って、起業家が投資家に転じて新たなベンチャーを育てるという、「エコシステム」とも呼べる循環が出てきたと思うが。
川邊 今は実際に事業をやってEXIT(*1)した人がエンジェル投資家になったり、VCを始めてまたそこに投資したり。あるいは山田進太郎氏(メルカリ会長)が典型的だが、一回起業家でEXITした人がもう一度起業したり、自分のアイデアを公開の場で述べて資金を調達したりと、ベンチャー・コミュニティーは新規事業のインキュベーターになっている。人材調達の場でも役に立っており、「エコシステム」としての形にはなってきたのではないか。
昔は事業をやりたい人は親から金を出してもらうか、銀行から借りるしか手段がなかった。今はリスクマネーでできるようになった。その点は全然違う。
増澤 一方で、日本のベンチャー村は米国と比べるとまだまだ規模が小さい。一桁違う感じだ。
堀 そこは圧倒的に違う。理由は、未上場と上場企業の差だと思う。東京証券取引所やマザーズに上場しているネット関連企業の時価総額は、それほど大きくない。先輩(先行した企業)がそんなに大きくないので、後輩も大きくならないという構造だ。
川邊 つまりチャレンジャーの数がまだ少ない、チャレンジして成功した会社の時価総額が少ない。結果として投資金額もまだ少ないということ。
堀 日本と米国企業がターゲットにしている人口の差もある。また、米国はサービスをグローバルに展開できるが、日本発のサービスはほとんどが国内向けに閉じていて、結果として業績も限られてしまう。米国の投資家などは現在、日本を通り越して中国とインド、東南アジアに投資している。

