鳩山発言「最低でも県外」の衝撃度

遠藤 大きな問題にしてしまったのは、民主党政権の鳩山由紀夫首相だと思っている。それまでは、沖縄内部に、基地移設も期限をつけるなどいろいろな留保をした上ではあるが、最終的には受け入れようという勢力があったが、鳩山発言が触媒になって、もう県外でやっていけると本土だって言っているじゃないか、それならそうしてもらうべきだということになった。

宮城 今の話だと、鳩山首相については否定的な評価か。

遠藤 ポジティブ、ネガティブという言い方で評価するのはなかなか難しいが、鳩山首相の「最低でも県外」という発言が、沖縄の中にあったいろいろ異なる方向性を、1つの方向に束ねる役割を果たしたのだと思う。

私自身は、海兵隊の普天間基地は返還されるべきで、しかも県内移設なしでやっていく方法を模索したほうがいいと思っている。それは、既に述べたように、この点で沖縄の人たちの声が1つになっており、それに揺らぎがなさそうだと考えるからだが、そうした揺らぎのない声は、意図的だったかどうかは別にして、鳩山首相の発言を触媒として成立したと思う。

宮城 沖縄からすると、鳩山発言に対し、本土がこぞって「うちも嫌だ」「うちも嫌だ」「なぜ沖縄じゃ駄目なんだ」と思っていることが明らかになってしまったという、もう1つの意味がある。

遠藤 確かに、本土ではだんまりを決め込んで、結局、移設先はどこにも見つからなかった。それで、本土と沖縄の対立がはっきりしてしまったというか、差別の仕組みが見えるようになってしまったということか?

宮城 差別と言うかどうかは別として、「今まで沖縄にあって慣れているのだし、これまで同様、沖縄で引き受けてくれればいいじゃないか」という本音のところが可視化されてしまったというのはある。

行き詰った沖縄保守

平良 私も鳩山政権の影響は大きかったと思う。98年に大田知事が最終的に辺野古移設に反対し、その後、政府との関係が一気に悪化した。新しく知事になった稲嶺恵一氏は、やはり政府との関係をしっかりしないと経済振興もうまく進まないということで、15年の軍民共用案を条件にして辺野古移設を容認した。

「条件付き」というのが重要で、移設反対の県民世論が高い中、稲嶺県政としてもあまりに政府に迎合しすぎることもできない。かといって、県民世論に従い移設反対の立場に立てば、政府との関係がうまくいかなくなる。そうしたジレンマの中、何とかバランスを取りながらやったのが、稲嶺県政だったと思う。だから、保守の側も嫌々ながら辺野古移設を容認してきたわけだ。

それが、仲井真(弘多【ひろかず】)県政あたりから綻(ほころ)びが出て、鳩山首相が「最低でも県外」と言ったときに、ぎりぎりのバランスで成り立っていた沖縄保守の政治の在り方が、全部吹っ飛んでしまう。稲嶺元知事が「これで苦渋の選択をしなくてもよくなった」という趣旨の発言をしているが、これは稲嶺氏だけでなく、多くの保守の人たちの心情だったと思う。その結果、すでに実態としては政策距離が縮まっていた保守と革新が、手を結ぶことになる。その橋渡し役を保守の側で演じたのが、現知事の翁長氏だった。

宮城 別の言い方をすると、大田知事は悩んだ末に最終的に辺野古移設の拒否を表明し、その大田知事を選挙で下して出てきた稲嶺知事は、「軍民共用で15年の期限付き」と、決して無条件で受け入れたわけではない。ところがこの「期限付き」は、2006年に米軍再編に関わる閣議決定がなされた際に、稲嶺県政からみれば事実上、一方的に破棄された。

稲嶺知事の後継者として出馬した仲井真氏は、「反対」を正面に掲げた対抗馬に対して、その時点での「現行案」には賛成できないというだけで、もっぱら経済問題に力点をおいた。

このように保守系の知事であっても、無条件に「受け入れ賛成」を掲げてきたわけでは決してない。仲井真県政時代に、市長と地元・辺野古と県知事が「受け入れ」でそろった瞬間があったといわれるが、逆に言うと、その前後を見ても、その「瞬間」しかそろったことがない。

平良 鳩山首相の「最低でも県外」というのが大きかったが、もう1つ影響が大きかったのは、鳩山首相が辞めた後に、海兵隊の抑止力は「方便」であったと発言したことだ。さらに、2012年12月に森本敏防衛大臣が、「(普天間基地の代替施設は)軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である」と明言したことは、決定的だった。

以前から沖縄のメディアには、海兵隊の駐留は必ずしも沖縄でなくとも可能だという日米の専門家や元政府関係者の意見が出ていたが、元総理大臣や現職の防衛大臣がそういうことを言ったもんだから、海兵隊の「抑止力」とは一体何だったのか、なぜ本土でも代替施設の建設が可能なのに我々がその負担を引き受けなければならないのか、といった疑問と不信が沖縄で急速に高まった。

なぜ沖縄でなければならないのか

遠藤 現在、日本政府が語っていたり、日本国民が感じていたりする抑止力は、多分非常にアバウトなもので、米軍がいてくれる安心感みたいなものにすぎない。米軍がどこかに居てくれれば中国が台頭してきても守ってもらえるんじゃないかという感覚で、ちょっと言葉は良くないかもしれないが、多くの本土民にとってはお守りみたいなものだ。

ところが、沖縄で基地問題に直面している人たちから見ると、海兵隊がどこかへ出撃するのだとしたら、佐世保からわざわざ船を運んできて、沖縄で人を乗せてから出かけるのだから、効率性の観点から見ても、普天間ないし辺野古にないといけない理由は見当たらない。また、アフガニスタンへの駐留やイラク戦争、そしてイラク占領統治中は、在沖縄海兵隊の兵力は相当小さくなった。それにもかかわらず、特に大きな軍事紛争が起こったわけではない。

また、軍事的な観点で論理的に詰めて考えていってみると、海兵隊という軍隊のあり方からみて、抑止力として期待できるわけではない。つまり、沖縄の人たちにしてみれば、海兵隊が抑止力として沖縄に基地をもっていなければならないという論理的で説得力のある説明を聞いたことがない。

生活上の危険とか、騒音とか、海兵隊員の犯罪とか、さまざまな現実的な負担と、差し引き計算をしても、海兵隊の抑止力などという曖昧な主張を根拠にして自分たちが辛抱しなければいけない理由はない。ましてや元防衛大臣ですら沖縄でなくても本土の西部であれば、海兵隊の軍事的機能は維持可能だと言っているのだから、沖縄以外のところに海兵隊基地をもっていっても軍事的な安全保障は維持可能だ。それなら、日本全体の安全保障を、日本全体で負担を分かち合うことで、解決ができるはずだ。そうすれば、沖縄の負担は確実に軽減できると沖縄の人たちが考えたとしても、全く不思議ではない。

ちなみに、私自身は、中国の台頭と米国の相対的退潮という大きなトレンドがある中で、米軍が東アジアから撤退していくのは、確かに不安定要因だと思う。しかし、米軍自身が進めてきた「米軍再編」のプロセスの中で、グアム、ハワイなどに海兵隊を分散配置することが明らかになってきたし、実際に、オーストラリアのダーウィンにも配備されるようになった。こうした兵力の再配置を進めていく中で、沖縄本島に海兵隊の基地を常時設置しておかなくても、東アジア地域における抑止力を維持できるようなシナリオはつくれるのではないかと思っている。

嘉手納基地の維持こそ大きな価値

遠藤 この点から見て、沖縄の人たちが、嘉手納の空軍基地については、まだ縮小、撤去とは言っていない、ということを見逃すべきではない。米軍にとっては、世界全体での戦略的な配置を考慮するとき、嘉手納基地を維持することの価値はきわめて大きい。アメリカの日本および沖縄への確実なコミットメントを確保し、中国などにアメリカが東アジアにおける現状維持に関心を失ったという誤ったメッセージとなって伝わらないような、兵力の再配置計画は可能なはずだ、本来ならば、そういう提案を日本側からしても構わないはずだと思っているが、出て来ない。

宮城 この話は、「沖縄対本土」になってしまうことが問題点だ。中央政界では、これだけ政党の数がありながら、この問題については社民・共産を除けば多様性が全く出てこない。このまま「現行案」で押し切ったとしても、沖縄の反発は強まるばかりだろう。そのことが結局は、沖縄の基地に多くを依存する日米安保体制を不安定化させる要素となるのではないか。「辺野古」の話をそこまで深刻な問題にまで拡大させてしまって本当にいいのか。

遠藤 アメリカの中でも地元に受け入れられていない基地への不安感が大きくなっている。特に、現役の軍人ではなくて、リチャード・アーミテージや、ジョゼフ・ナイといった政治的な判断をする人たちは、沖縄に代替基地をつくったとしても、安定運用できない。もう諦めたほうがいいと言っていたのに、結局、仲井真氏が最後に受け入れてしまったことで、アメリカの方が「なんだ、地元が受け入れて良いと言っているんだったら、自分たちが代替案を一生懸命考えたりしなくてもいいんだ」となってしまった。その意味では、仲井真氏の責任は非常に重いと思う。

宮城 日本政府のほうは、過去に説明してきたこととの整合性に縛られて、ダイナミックな政策変更ができない傾向がある。戦後外交を見ても、結局、大きな政策変更の多くは、アメリカのイニシアチブから来ているようなところがなきにしもあらずだ。