“remain here”——こうしてパナソニックはマレーシアで成功した

もちろん、アジアに進出し大成功している例はいくつもある。それらの企業に共通して言えることは、誰もが出て行ける条件が整う前から、つまりリスクがある段階から進出し、根付いていることである。そうなれば後から何がやってこようと全く動じない。代表的な例をいくつか紹介していこう。

最初は、マレーシアのパナソニックである。1960年代に進出し、マレーシア経済の牽引車となっている電子・電器産業の中心的存在であり、パナソニックグループの海外部門でも大きな存在である。マレーシア国内市場のシェアが高いだけでなく、グループの中でも重要な開発・製造拠点となっている。

関連会社のマレー人の社長がその成功の理由として挙げたのが“remain here”。これはマハティールも日本企業の美点として挙げたことだが、ほかの欧米諸国の企業は、いったんは進出しても儲けたら出て行ってしまう。通貨危機などあったときには、みんな逃げてしまう。そしてそこには残骸だけが残る。しかし日本企業は進出を決めるときはグズグズしているが、いったん進出してしまうと、今度はなかなか撤退の命令を出さない。これは、戦争の時には負けパターンだ。

ただ、簡単には撤退しない。マレーシアの経済変動、日本からの無関心があっても、パナソニックは1960年代からずっとそこに居続けている。その間に人材が育ってきて、新たな発展の芽が出た。例えば、インド系の技術者が多く育っているが、彼らをインドに派遣して、現地の需要を取り込んだ製品開発を行い、エアコンのシェアをゼロから15%まで伸ばしたという。

日本ではパナソニックは、販売チャネルを専門販売店であるパナショップ(旧ナショナルショップ)から量販店に大きくシフトし、かつて80%以上だったパナショップのシェアは今や30%以下になっているという。しかし、マレーシアにはパナショップが健在である。店主が代々子供に引き継いで土着しているのである。そして、すべての店に松下幸之助の「共存共栄」の色紙が貼ってある。幸之助の言葉を社訓に取り入れているショップもいくつもある。

マレーシアのパナショップの店主は「自分たちのお客さんへの丁寧な接し方、修理などは量販店とは全然違う。確かに脅威だけど。少しぐらい高くてもメンテナンスがちゃんとしていればちゃんと買ってくれる。リピーターが来てくれる」と話している。マレーシアではパナショップは1979年から展開をはじめ、現在150店舗もある。これがパナソニック・マレーシアの財産だと現地では考えている。

インドネシアに根付く住友林業、ヤクルト

現地に根を下ろしたということでは、インドネシアの住友林業を挙げたい。戦前からバリ島の近くの小さな町で、南洋材のチーク材を切り出して日本へ輸出してきた。伐採した後、植林をするのだが、苗木を育て、現地の人にそれを渡し成木となったところで切り出して、また会社が買い上げる。その収入で村は豊かになる。その収益でメッカに巡礼に出ている。社会貢献の植林になっている。現地社員は、何代も続いており、社員出身の人物が市長になったりしている。地元でもとっても尊敬されている会社になっている。こういう生き方は、日本企業らしいと思う。

同じくインドネシアでヤクルトは、日本国内と同じくヤクルトレディ(ヤクルトおばさん)を使い、訪問販売をしている。女性たちには、いい収入になっているという。ヤクルトレディたちの話では、「おかげで子供を大学に進学させることができた」「オートバイを買えた」という。そういう人がいっぱいいる。地元の人たちの収入になるような仕組みを考えたおかげで、きめ細やかな訪問販売が軌道に乗り、認知度、浸透度が高まり、スーパーに卸すだけの欧米系の飲料メーカーに比べ、売り上げもすごく安定するという。

ベトナム現地化で成功したエースコック

現地化という意味で最も成功した例としては、インスタントラーメンのエースコックのベトナム進出がある。エースコックは、日本国内ではシェアをとれずに苦戦しているが、1993年にベトナムに出て、日本の商品をそのまま作って売るのではなく、ベトナム風の味付けに徹した商品開発を行い、「hao hao」のブランドでいまや国内最大のラーメンメーカーになっている。しかも東欧やアメリカで成功したベトナム商人の「ベト僑」を通じて世界ブランドにしようとしている。いまや日本での売り上げより海外売り上げの方が大きくなっている。やはり日本で苦戦して、外にマーケットを見つけ、ここで頑張って生きて行こうという決意がある企業は強い。そして、インスタントラーメンという大衆商品で勝負したことも成功に寄与していると思う。

日本製品は、値段がリーゾナブルで品質が高いことが、世界で売れた理由だった。最高級品はいまだに欧米のブランドである。そのあたりをきっちり抑えておかなければならなかったのに、近年、日本企業はやたらに高付加価値に走った。アジアは富裕層が増えているというが、富裕層狙いの日本企業でそんなに成功しているところがあるとは思えない。

インドネシアに進出したフマキラーの例だが、最初、業績は低迷していたという。しかし、現在の社長が赴任して、ユーザー調査をしたところ、南方で蚊が多いため蚊取り線香の需要は旺盛だが、日本では当たり前の30本、50本と入った1パックの値段が高すぎて一般庶民には手が出ないという。そこで、1本ずつばら売りにしたところ売り上げが一気に伸び、現地のトップメーカを上回った。その後、パッケージ売りを増やしていったという。まず、ボリュームゾーンをしっかり抑え、その後、少しずつ高価格帯へ広げていくというやり方だ。

よく、アジアの富裕層、中間層を狙えというが、たいていの国は、少数の本当のお金持ちか、圧倒的多数の低所得層しかいない社会だ。現地の実情に合わせ、ボリュームゾーン向けに成功した企業が、成功しているといっていい。

日本企業が忘れていたこと

「日本で伸びない、中国でも厳しい、だから東南アジア」というけど、東南アジアに出たらそれだけで成功するわけではないのである。結局、地道に努力するしかないわけだ。ただ、面白いことに、中国や韓国の企業は、どちらかというと欧米流で、がつっと儲けて、さっと去っていくが、それに比べると日本企業の方は、いまだに大企業でも中小企業のように地道である。

江上剛氏の新著『負けない日本企業』講談社刊

かつて経済成長期に日本企業が伸びたのは、物不足で、何でもいいから作れば成功したからというわけではない。その中で今日生き残っている企業というのは、松下幸之助だけではなく、顧客の声を聴いたり、ニーズに合わせたり、メンテナンス・サービスをしたり、売りっぱなし作りっぱなしじゃない仕事をやってきている。

日本企業がかつて得意としていた、きめ細やかな顧客サービスというのは、コストがかかりすぎるということで、近年、どんどん切り捨てられていた。が、もしかしたら、これこそが利益の源泉だったのかもしれない。切り捨てたあたりから、日本企業の不調が始まったのかもしれない。今回、アジアに進出した企業を回ってみて、このことをつくづく思った。

カバー写真=インドネシアのヤクルトレディたちと著者(前列中央)