稲作の普及がもたらした影響

日本統治期の台湾では原住民に対する調査が数多く行われており、中には迷信を調べたものもある。1938年の調査報告によると、パイワン族では「アワ播種の時、平地より購入せる米、魚類を食するを忌む。神の怒りに触れ、発芽せず」と信じられており、太麻里のパイワン族は「農事中は米食せず。食せば神の怒りに触れ、収穫減少す」と考えていた。むやみに米に手を出せないのである。

パイワン族の収穫祭で踊る若者たち、台湾・台東県太麻里郷、2017年(撮影:松田 良孝)

アワを重んじ、米を忌避しているともいえるこの暮らしの中に、台湾総督府は水稲栽培を普及させようと試みている。獨協大学の松岡格准教授(文化人類学)は「焼き畑農業や狩猟採集を中心に生活してきた原住民の生業構造を改変すること」とみなし、稲作によって定住化を進めようとしたところに政策的な意図を見いだしている。旧台東庁の原住民地域における1940年の農業生産を5年前と比べると、水稲では面積、収量、価格が増加したのに対し、アワは、価格以外は面積6.37%、収量14.90%がそれぞれ減少した。統計をまとめた台湾総督府警務局は、水稲普及策の成果と位置付けている。

松岡准教授は、台東地域に限って分析しているわけではないが、水稲普及のインパクトとして「稲作普及がけん引する農業の単純化が食糧増産に貢献したことは、間違いないのではないか」とする一方、「このような米普及は同時に、他の施策と結び付くことによって、文化の単純化を推し進めた。(中略)焼き畑農耕を背景とするアワ文化を抑圧・駆逐していった」と指摘している。