揺れる心、とまどう人々
香港は、面積1104平方キロメートルの半分が荒地、しかも天然資源にも恵まれぬ土地だった。しかし、さまざまの事情を抱えたさまざまな人が集まり、彼らの努力のおかげで、自由貿易港、金融センター、観光地として繁栄を誇ってきた。多くの移民を受け入れると同時に、世界各地へ移民を送り出し、国際都市としての活力を保持してきた特別の場所だった。
1970年代にかけて欧米で教育を受けた若者が、次々にUターンして来ると、香港独自の文化を模索する動きも始まった。
1980年代に入ると、返還に伴う中英交渉が本格化したことや世の中が好景気に沸いたことから、「港人治港」の機運が高まった。
1997年。6月30日から翌7月1日午前0時にかけて、香港の中国返還式典が厳粛な雰囲気の下で行われた。私は、どしゃぶりの雨の中、ユニオンジャックがしずしずとポールから降り、代わりに五星紅旗が上るまでの一部始終を現地で見つめていた。あの日、街の至るところで住民たちの高揚を感じたものだ。人々は、「借りた時間、借りた土地」ではない香港を、実感していたように思われた。しかし、香港人というアイデンティティーが醸成されていくと、皮肉なことに、大陸の同胞とライフスタイルも意識も違うことに気付き始め、一国両制度の下で、双方の違和感、小さな摩擦が表面化していった。
いま、学生時代から共に年齢を重ねてきた香港の友人、その家族の様子を眺めるにつけ、心が揺れているように感じる。20年前の高揚感がしぼんでいる。これからリタイアを迎える香港人は、英国統治下の香港で教育を受け、グローバルに仕事をこなし、人生の基礎を築いた人々である。彼らが、これからの30年に起こるだろう社会の変化、特に、言論の自由や選挙制度の在り方に不安を抱いても不思議はない。恐らく、香港から世界各国への移住人口は、今後も増大するのではないだろうか。