最も居心地の良い場所とは

友人Jのことに話を戻そう。

彼女は、台湾に永住することを考え、その準備を始めている。

「自分にとってのついのすみかってどこだろう・・・ずっと考えてきたけれど、どうやら答えが見つかった」

Jが自分なりの結論を出したのには、かなり特別な事情がある。彼女は台湾風に言えば「外省人2世」として香港で生まれた。国民党の軍人だった父親は、蔣介石軍の敗走に伴い香港へ。そこで、台湾行きの連絡船を待っていたのだが、結局香港に残ることになり、九龍半島の外れの外省人コミュニティーに閉じこもるようにして暮らし、最期は、生まれ故郷の湖南省へ戻り一生を終えた。父親がついのすみかとして帰還した湖南省の寒村は、香港生まれの娘にとっては、まったくの見知らぬ土地であり、愛着も持てず、葬儀の際に初めて会った親族ともなじめなかった。

そう、父親にとっての「ついのすみか」は、娘にとって全くのアナザーワールドだったのである。ところが、香港の普通語社会で育った彼女が初めて台湾旅行をしたとき、えも言われぬ懐かしさに包まれ、ぼうぜんとなったという。

「幼い日の記憶が一気によみがえり、胸苦しくなった」というのがその理由だ。彼女の胸をかきむしり、涙線を決壊させたのは台湾各地に今も残る外省人のコミュニティーだった。

「最後に安心して住める場所は、自分にとって一番心地よく感じられる場所であってほしいし、思い出を共有できるコミュニティーや癒やしの風景があってほしいじゃない」

Jの言う通り、ついのすみかになる場は、そうあってほしい。

「香港は、私たちの歴史も思い出も根こそぎ取り払って発展してきたでしょう。街の記憶が塗り替えられてしまった土地を、もうふるさとと呼べない」とも。

この数年、彼女は台湾各地を旅行し、東部の宜蘭や南部の美濃で、農家のオーガニックネットワークを知り、香港ではできぬ大地に根を下ろしたボランティアがしたくなったと話す。近い将来、新しい人生を、ここ台湾でスタートさせるはずだ。

さて、台北で香港の友人と再会したことから、期せずして重いテーマについて考える機会を与えられた。人生の最終章をどこで自分らしく過ごすか……この問題は国籍に関係なく誰にとっても重要だ。高齢化社会が急速に進む日本の私にとっても大切なことだ。社会が不安定になったり、年金が先細りになったり、家族の絆が弱くなったり、天災や開発でふるさとを追われたら、どこをついのすみかとしたらよいのだろう? 居心地のよい安住の地を模索することは、自分自身のアイデンティティーを問うことにもつながる。大切な選択をする準備に、早過ぎることはない。

バナー写真=香港ビクトリアピークから望む風景(HIT1912 / PIXTA)