ビジネス本としての蔡英文本
意外だったのは、蔡英文本を優れたビジネス本でもあると捉える人が少なからずいて、下手なビジネス本よりよっぽどためになると評価されたことだった。特に『蔡英文自伝』の中には、ビジネス本がよく取り上げる「リーダーシップ論」「合理的、論理的意思決定」「人材育成法」などのトピックが随所に実例と共に描かれている。日本のビジネスパーソンにとって、蔡氏の考え方や手法が共感を呼んだようだが、台湾でそのような捉え方があったのかは気にかかるところだ。
筆者が翻訳をしていた時、蔡英文本をビジネス本的に扱うことは全く思いつかなかった。なぜなら、蔡氏が一般的な商業活動から最もかけ離れた場所にいる人だと思っていたからだ。例えば、彼女が自らの意思で起業して経営者になるとは筆者には想像がつかないし、彼女はそういう道を選ばないと思う。
「合理的、論理的意思決定」を彼女が論じることに関しては、その能力が終始必要となる官僚、研究者の仕事をしていたことから確かに想像できる。しかし、彼女が「リーダーシップ」を語ることに関しては、やっぱり疑問が残ってしまう。どちらかと言えば、カリスマ司令塔というより、強力なリーダーの下、一番信用が置ける「懐刀」、影の参謀的な役割を担うことで最も能力を発揮する印象が強いからだ。だからこそリーダーとなった台湾で、政権スタート当初から現在に至る閣僚人事に台湾の人々からも、身内の民進党からも疑問の声が起こり、不満がくすぶり続けているのではないだろうか。
筆者は個人として、彼女の不器用でも諦めず努力し、いつも強い使命感を持って信じた道を突き進む姿に共感している。経歴だけ見れば、エリート街道まっしぐらのスーパーウーマンのように見えるが、実は人生の時々において他の人と同じように悩み苦しみながらも、自分に与えられた場所で人々の期待に応えようとしていたことをこの本を通じて知った。また、蔡氏が米国、英国と留学し、学位を取得したように、筆者も同じようにカナダ、英国、台湾へと留学し、行く先々でさまざまな価値観に触れ、自分にその要素を取り入れながら研究者となった。その類似性から、機会があれば彼女に日本語版の蔡英文本を手渡し、海外での経験や女性の生き方について話をしたいというのが私の夢でもある。