総督府を修復した人物
終戦を迎えると、台湾総督府は統治機関としての機能を失った。疲弊し切った総督府に庁舎を修繕する余裕はなかったが、修復は台湾人技師と留用された日本人技師が担うことになった。
この時に重要な役割を演じたのが故・李重耀氏だった。李氏は総督府修繕の他、桃園神社の保存や戦後の衛生機関の整備などで知られる人物である。18歳で台湾総督府財務局営繕課の技師となり、戦時中は台湾総督官邸(現台北賓館)の防空壕(ごう)の設計コンペで入選した経験もある。
庁舎の修復は行政長官・陳儀の命令によるものだった。李氏は日本人技師から受け継いだ建築士としての誇りを胸に、職務に没頭したという。
工事は1947年に始まった。まず、しなければならなかったのは館内のがれきを運び出すことだった。これは牛車で約1万台分に相当し、延べ8万人の工員を要した。当時はインフレの嵐が吹き荒れており、物価が非常に不安定だった。現金は意味をなさないので、李氏は米を確保し、給金としてこれを分配したという。当時の世相を如実に物語るエピソードである。
