台湾映画と台湾のおじいさんとの出会いから始まった映画人生
私の映画人生は、1本の台湾映画と一人の台湾人のおじいさんとの出会いから始まった。初めて台湾を訪れたのは1998年夏のことだった。きっかけは蔡明亮(ツァイ・ミン・リャン)監督の映画『愛情萬歳』。台北で暮らす男女3人の若者の孤独を描いた作品で、当時登場人物たちと同世代の20代後半だった私は大いに共感するとともに、スクリーンを通して伝わってきた街のざわめきをじかに感じてみたいと思った。
当時、新聞記者として函館にいた。同年3月に台北との間にチャーター便が就航したばかりで、台湾からの観光客が劇的に増えていたこと、前年に函館の国際交流センターのホームステイプログラムで台湾からの留学生を受け入れていたことも、台湾を身近に感じる誘因になっていたかもしれない。そんなこんなで、どうしても映画の舞台である台北に行ってみたいと思ったのだ。
ロケ地を訪ねるという無邪気な一人旅だった。『愛情萬歳』のラストシーンで主人公が号泣する公園のベンチに座ってみたり、初めての屋台ではしごしたり。そうだ、せっかくだから学生時代に見た『悲情城市』(侯孝賢(ホウ・シャオ・シェン)監督)の九份にも行こう。かつて金鉱で栄えた街をひとしきり歩き、台北に戻るバスを待っていたときに流ちょうな日本語で話し掛けられた。「日本からですか?」。70代ぐらいの小柄な男性だった。バス停にいるわたしが日本人だと分かり、近くの家からわざわざ出てきたという。公学校(小学校)時代にかわいがってくれた日本人の先生に今でも会いたいと話してくれたが、バスがやってきて話の途中で別れてしまった。
最後までゆっくり話を聞かなかったことがずっと心残りで、2年後にそのおじいさんを探しに行ったが会うことはできなかった。戦後50年以上たってなお、恩師を思う人が台湾にいることを初めて知り、自分の無知を恥じるとともに、日本統治下で暮らした人々の思いを知りたい、伝えたいと思った。振り返るとあの出会いからもう20年になる。今では日本語を話す世代が高齢化し、街なかで話し掛けられるということはほとんどなくなった。