「対日攻撃」の構造

批判者の狙いとは往々にして、現代日本の像を暗色に塗るところにある。前回総じて良いと断定した日本にまつわるイメージと、日本国民の自画像とは、これとの緊張関係に立つ力学のもとにある。そして歴史を人質に批判をされた場合、われわれの多くは及び腰になった。それが偽らざるところだ。

対日攻撃のレトリックは、戦後75年に及ぶ日本社会の成熟、制度的充実・透明度の向上などに一切注意を払わない。戦争犯罪の法廷が下した「日本=悪辣非道の侵略者」という断定に時効を認めず、これで現代日本のイメージを決定づけようとする。そこに見られる否定的PRの運動は日本を巻き込み、北米やオーストラリアに及んで、多層的に複雑である。

まず批判の論拠はほとんど常に、日本に発した。例えばいわゆる慰安婦について。朝鮮半島のいたいけな少女を日本は力づく、強制連行したとする主張をなしたのは、日本の吉田清治なる人物だった。

同説を広めた朝日新聞は2014年の8月5日、これを虚偽であったと公式に認め謝罪に及んだけれど、遅きに失した。韓国では吉田説をいまだに真説とし、米国やカナダでいわゆる慰安婦像を設けようとする人々も、これに依拠し続けているからである。

中国の場合はというと、毛沢東が、宿敵国民党を叩いたからだとして、日本軍にことさらな遺恨を抱いていなかったことは広く知られる。ところがその後の中国は鄧小平以降、例えば「731部隊」に日本像を代表させ、対日復仇感情を国民の中に育て続けて今日に至る。その論拠を与え、補強材料を提供したのも、本多勝一、平岡正明はじめ日本の文筆家たちだった。

日本発の言説は中国、韓国に浸透し、カナダ、米国、オーストラリアに拡散した。各国に住む韓国系、中国系移民のうち対日非難をこととする人々は、経済力をつけ、市民権を得て地元政治への発言力を身につけた。ソーシャルメディアの隆盛ともあいまって、国境をまたがるネットワークを築いた。つまり日本を悪しざまにいう勢力は、日本内外に入り組み、互いに連携強化しあっている。ひとつ紐を引くとスルスルほどける類のものではない。

日本とアジア諸国を分断させない努力を

これに対抗することを東京からの訓電で命じられた日本の外交官たちは、歴史的知識がそれほど豊富ではないうえに、ゴールが明示されない闘いにひるんだ。据えつけられた慰安婦像を、動かせ、あわよくば撤去させろと、訓令が明文で要求していたかは知らない。そんなことが果たしてできるかと、途方に暮れた者はかなりの数に上ったのではないか。それも手伝ってだろう、アクションが不首尾に終わる場合の理由付けに、いろいろ種類が生まれた。

 ――下手にさわると俗にいう藪蛇(やぶへび)となり、かえって無関心層の興味を惹起しかねない。

 ――男性兵士が若い女性を組み敷く様は、今日の価値観からして想像するさえおぞましく、事実誤認を言い立てようにも多勢に無勢だ。

などと理屈はいろいろに立ったけれど、要はさわらぬ神に祟りなしの態度に帰着した。この性向は、今もなくなったといえない。では、これからどうすればいいのだろうか。

私見によれば、対応はミクロ的なそれ、マクロ的な対処の二段に分かれる。まずミクロの方から。吉田証言に依拠する言説にもとづく慰安婦像が、在米韓国人が多く住む地域で建つかもしれない場合、現地の本邦外交官はいち早くその情報を捕捉しなければならない。それには日頃から地元社会に深い人脈を築いている必要がある。けだし外交官として基本中の基本作業で、それへの献身ぶりが問われる。

像は効果として、日本の企業派遣者とその子どもたち、一般に在米アジア人コミュニティに対し、分断のクサビとなる。許していいのかということを、日頃から諄々と説いておく必要がある。これも日常交わす会話の質と量が一定水準以上に及んで初めてできること、外交官としてその能力の有無が違いとなって表れるところだ。日本の立場を擁護し、代弁してくれる論者が現地にいればなおいい。その割り出しなど、一朝一夕にはできない。ここでも地道な努力が要る。と、そんなふうに考えるなら、外交官諸氏には光が見えるだろう。

虚説にもとづく対日批判の像をつくらせ放題にしていては、日本国民の自尊心を不必要に傷つける。機嫌がよかったはずの日本人は、ためにとげとげしい、余裕の乏しい人間集団にならぬとも限らない。そんな日本にしない一助を自分は担うのだと考えるなら、そこにやりがいを見いだせよう。そのため必要な努力とは、外交官としてなすべき基本に弛まず徹すことだ。すなわち彼らにとっては、初心に帰りさえすればよいことである。

中国との「間合い」がカギ

より高次、マクロの次元で言えるのは、対日攻撃をもっぱらとしがちな中国と韓国に、共同戦線を張らせないことの大切さだ。

ここ2~3年の顕著な傾向として、中国が対日批判を抑えぎみである点が指摘できる。その間に日本は東シナ海、南シナ海に関して譲らなかった。ウイグルの人々に対する処遇、香港の状況について、安倍首相は中国首脳部に懸念を累次、直接伝えた。「一帯一路」構想には、G20の場で債務安定性や透明性確保を促すなど、中国に対し、日本は特段の妥協をこの間何もしていない。

一方で、首相は自衛隊合憲化のための憲法改正案を提起した。政権は海自護衛艦に戦闘機運用能力をもたせ、スタンドオフミサイルの配備に向かうなど、一定のトレンドラインを、むしろ明示してきた。

ところが、これにもかかわらず、あるいはそれゆえに、中国は沈黙を続けた。その理由を考えても、憶測の域を出ることはできない。だが、この中国の沈黙が韓国に影響したということは想像できる。

韓国は、いわゆる慰安婦について日本と結んだ「最終的で不可逆の」合意を反故にした。1965年、日韓国交回復の際、周到にも条約化した紛争解決メカニズムに一顧だにくれない。

ネイバル・エンサイン(海軍旗)として国際的に通用してきた日本の旗を、侵略の象徴と喧伝する。日本が中国やフィリピンで一般市民に犠牲を出した戦いのさなか、韓国は日本の側にいた。そんな事実は、ソウル論壇の俎上に上らないようだ。それでいながら、偶然にか、中国の態度を眺めての上でかはいざ知らず、安倍首相の憲法改正案、日本政府の護衛艦改修案など前述した一連の変化について、韓国は中国と同様にめぼしい言挙げをしていない。

中国と韓国という世界中でこの二国だけといってよい対日ネガティブキャンペーンの実施主体に共同戦線を張らせないためには、中国との間合いをどうもつかがカギになる。汲み取れそうなのは、そんな教訓だ(北朝鮮の国際世論に対する影響力は極めて小さいので、いまは議論の対象としない)。

悲観せず、足りないところを補えばよし

英語の口数が少ない日本。ために誤解を生じがちな国。世界に親日国が多いことは寿ぐべきだとして、誰もに好かれようとすると自分を見失ってしまう、そんな危険をもつ国だと、日本について今回は述べてきた。

歴史を理由に日本の信用を落とそうと図るにおいて熱心な国は、今日の現状では中国と韓国の二国である。その対日批判が明らかな虚説にもとづく場合、看過しては国内に病巣を広げる。米国を主舞台として繰り出される攻勢をよくしのぎ、できれば中和させようとするなら、外交官がその基本に立ち返った地道な努力を営々続けることが必要だとも指摘した。

続けて、中国が対日批判を控える場合、韓国もそれに影響されるらしい事情に照らし、中国との交際において原則を譲らず、日本はもっぱら自力涵養に努めることで、つけいる隙をなるべく先方に与えないことこそ肝要だとの結論を導けよう。

日本に足りない力や技能は枚挙にいとまがない。今回はいくつか具体例を挙げて論じたけれども、最近のPR失敗例として政府、民間企業に材をとるなら、ほかにも挙げるべき例は多い。

といって、悲観論に沈む必要はない。日本はPRにおいてジャイアントの一人である前回見た事実を想い起こすならば、足りないところは、ただ着実に補っていけばよいに過ぎないのだと、われとわが身に言い聞かせることができるわけである。Keep Calm and Carry On. 擱筆しようとして、英国の有名な標語を思い出した。

(注・以上前後2回に分け掲載した本記事における意見や主張は筆者一個のもの。他の機関や個人の見解といかなる関係も持ちません)

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