17歳のとき、台湾行きを3日で決断

インストラクターは、言わば裏方だが、チャンスがあれば東京で表舞台に立ちたいとの思いは高じていった。17歳の時だった。東京のマネジメント会社から、台湾のテレビ番組に出演してみないかとの話が舞い込んだ。

「台湾と聞いて思い浮かんだのは、日本でも人気だったビビアン・スーさんぐらい。台湾がどこにあるのかも分からず、知っている中国語はニーハオとシエシエだけでした」

それでも、沖縄から一番近い外国であることを知ると一気に心が傾いた。海外で言葉や文化を学びながら、エンターテインメントの表舞台に立つことを思うと興奮した。両親も背中を押してくれた。3日後には心を決め、1週間後には台湾の桃園国際空港に降り立った。漢字だらけの案内板を目にして、不安に押しつぶされそうになったが、やってみるしかない。企画は3カ月間限定のものだった。なじめなければ、沖縄に帰ればいい。

愛紗が出演したのは、超人気バラエティ番組『超級星期天(スーパーサンデー)』の「超級動員令之日本美少女」のコーナーだった。この企画では、最終的に愛紗も含めて、ファン投票で選ばれた日本人4人のグループ「Sunday Girls」が結成され、台湾での芸能活動が始まった。翌年にはCD『好きだよ 喜歡你』をリリースし、アジア各国を宣伝ツアーで巡回した。シンガポールのサイン会では3000人ものファンが集まり、テレビ番組の影響力のすさまじさを肌で感じた。しかし、程なくメンバー2人が日本に帰国し、Sunday Girlsはそのまま解散となった。

台湾にとどまった愛紗に、バラエティ番組『綜藝少女組』の司会の仕事が来た。台湾華語(台湾で使われる中国語)はまだまだおぼつかなかったが、周りには日本語が話せる仲間ももういない。24時間華語の環境での生活が始まった。19歳になったばかりの愛紗は辛さに耐えられず、涙に暮れた。しかしその一方、台湾で生きていく腹は少しずつ固まっていった。