大成功で終わった湾生きょうだいの帰郷

70年ぶりの里帰りは、こうして大団円となった。二人の感慨がいかばかりだったのか。兄の洋輔さんは自らの手記でこう語っている。

「いろいろな方の善意、協力を貰い、今のわれわれが生存できていることを知り、全ての方に感謝感激の旅でした。ただ残念なのは、生前に一度、父母を台湾に連れて行き、心優しき台湾の人々に会わせ、また近代化した発展した今の台湾の姿、バナナ、椰子、マンゴの林など、心ゆくまで見せてあげられなかったのが、残念でした(ママ)。亡くなった父母も、代わりに念願が果たせてきっと喜んでいることと思います」

また、妹のマスミさんも帰国後『山陽新聞』のインタビューにこう答えている。

「言葉が出ないほどうれしかった。母から生前、自害も覚悟していたと聞いた。急迫した中で家族を救ってくれ、今もその孫が礼を尽くしてくれる。人の絆の強さを感じます」

僕も傍らで見ていて何度も目頭が熱くなった。惜しむらくは、撮影チームも同行してドキュメンタリー映像として記録を残せなかったことだ。しかし、5年たっても色あせることのないこの物語を、せめて手記として残しておきたいと思った。

ところで、この湾生きょうだいと陳芳洲さんとの縁を再び紡いでくれた湯茗富さんが、後日ある秘密を明かしてくれた。先ごろ任期を満了した台湾の陳建仁・前副総統は、陳芳洲さんの弟の陳新安・元高雄県長(県知事)の子息であり、したがって陳芳洲さんの甥に当たるという事実だ。これにはもう一度驚いた。

左から湯茗富さん、河内洋輔さん、青野マスミさん、陳鋕成さん、小田裕也さん、筆者(小田裕也さん撮影)
左から湯茗富さん、河内洋輔さん、青野マスミさん、陳鋕成さん、小田裕也さん、筆者

5年前の里帰りを振り返りながら、台湾の日本統治時代は日本史の一部でもあり、また台湾史の一部でもあることを今更ながら強く感じている。日本と台湾の間には、こうした物語が日常のあちこちに埋もれている。

バナー写真=河内洋輔さん(左)、青野マスミさん(中央)とチンホウシュウ(陳芳州)さんの孫の陳鋕成さん(右) バナー写真、文中写真はいずれも小田裕也さん提供