仕事漬けの編集者時代に生まれた童謡「ぞうさん」
1946年に復員し、川崎の工場で守衛の仕事に就いたが、前出の与田凖一の計らいで、『コドモノクニ』(後の『チャイルドブック』)の編集に携わることになった。教科書などの出版も担当し、残業・徹夜続きの激務だったが、1951年41歳の時に音感教育家の酒田冨治から童謡の作詩依頼を受けた。即興で書いた6編のうちの1編が「ぞうさん」だった。出来上がった楽譜集を見た先輩の童謡詩人の佐藤義美が、「おはなが ながいね」を「おはなが ながいのね」に変えて、NHKに持ち込み、作曲家團伊玖磨の曲がついた。そして1952年NHKラジオで流れるとたちまち全国で歌われるようになった。
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
日本人なら誰もが知っている戦後を代表する童謡である。まどさんは、この歌について後年、動物が動物として生かされていることを喜んでいる歌だと言った。そして「お鼻が長いのね」と悪口を言われた象の子が、「一番大好きなお母さんも長いのよ」と誇りを持って答えたのは、象が象として生かされていることが、すばらしいと思っているからと注釈も残している。これは、26歳の時に発表した「みんながみんな、夫々に尊いのだ」という精神そのものだ。
まどさんは、理念はそのままに、自分の思ったことや感じたことを言葉と文体だけで表現したくなった。59歳の時、第一詩集『てんぷら ぴりぴり』を発表、自由詩に転向していく。そして、83歳で、1994年国際アンデルセン賞作家賞に輝いた。その理由の第一には、人間ばかりでなく、象のように大きな動物も、蚊のようにちっぽけな虫も、草や木や、石ころでさえも、森羅万象はそれぞれ平等に存在意義を持っていることを、聞くもの、読むもの、見るものたちに、静かに、ユーモラスに、時には苦みをさえ交えて訴えかけてくるとある。この哲学こそが、国を超え、人種を超えて受け入れられたのである。まどさんは、それからも、たゆまず詩を書きつづけ、2014年2月28日、104歳で亡くなった。
「みんながみんな、夫々に尊いのだ」という理念は、徳山の思い出を土台に精神を形成していった台湾時代に形づくられたものだと思う。台湾での生活は、9歳から33歳までの24年間。そこで、言葉、人種、風土の壁を超えた地球的な視野が生まれ、宗教に出合うことで宇宙的な価値観が広がっていったのではないのか。まどさんの素晴らしさは、この理念と生き方が一致しているところにある。まずモノと向き合い、次に苦しい模索があって、ようやく磨きぬかれた日本語の結晶が生まれてくる。石田道雄は、台湾で、詩人まど・みちおに生まれ変わったのである。
参考文献
阪田寛夫『まどさん』新潮社 1985年
谷悦子『まど・みちお 童謡と詩』創元社 1988年
伊藤英治編『まど・みちお全詩集』理論社 1992年
伊藤英治・市河紀子編『続 まど・みちお全詩集』理論社 2015年
写真は全て筆者による撮影、提供
バナー写真=2009年夏、線画を描くまど・みちおさん。この年、100歳で詩集を2冊出版した。

