近畿大学で得た新たな成長の機会

大学進学で、大都会の大阪に来たことは、野球人生の中で、新たな刺激となった。「近大野球部に入部したとき、先輩の練習を見て、本当に大人の集団だなと思いました」と振り返る。精度の高いプレーには、「思わず身震いがした」という。

野球の名門大学の3、4年生ともなると、身体的にも技術的にも充実し、プロ野球では「即戦力」に近い存在として扱われる。近畿大学は大学のリーグ戦で優勝したばかりで、優秀な選手が集まっており、当初、「自分はレギュラーになれるだろうか」と不安だったそうだ。

近畿大学に進学した林威助(左)にとって、そのレベルの高さに驚いた。中央は近大監督の榎本保氏(林威助提供)
近畿大学に進学した林威助(左)と、当時の榎本保監督(林威助提供)

しかし、林は適応力と練習熱心さではだれにも負けなかった。1年生から先発レギュラーの座を獲得し、関西学生野球リーグではベストナインに選出された。「高校時代の(野球の)成績も良かったですが、近畿大学での4年間で、本当に大きく変わりました」と振り返る。4年間の大学生活で野球の「レベル」が、台湾のアマチュア野球とは違うことを肌で感じたという。

しかし、膝の故障でプレーに支障をきたすようになり、3年生の時にはレギュラーから外れ、代打での出場にとどまった。4年生になった2002年、プロ野球への志望届を提出した。「高校時代から、プロ入りを目標としていた」という林は、2002年11月20日、品川新高輪プリンスホテルで行われたドラフト会議で、阪神から7位指名を受けた。

ドラフト会議で阪神タイガースから氏名を受け、仲間から祝福される林威助。右は同期で、大阪近鉄バファローズから指名された大西宏明(林威助提供)
ドラフト会議で阪神タイガースから氏名を受け、仲間から祝福される林威助。右は同期で、大阪近鉄バファローズから指名された大西宏明(林威助提供)

「信じられなかった」阪神入団

膝に故障を抱え、指名されるか自信がなかっただけに、名前を呼ばれた瞬間、雷に打たれたように全身に電気が走った。「考えてみれば、今でも信じられないことです」と林は筆者に語った。

林を指名したのは、名将・星野仙一監督だった。「星野さんは鉄拳制裁で有名ですが、本当に選手のことを考えてくれました」と、林は今も感謝の言葉を惜しまない。当時、星野監督やコーチングスタッフは、「まず、けがを治してからプレーしろ」と林を激励したという。

2006年からレギュラーに定着した林威助。2007年にはキャリアハイを達成した(阪神電鉄提供)
2006年からレギュラーに定着した林威助。2007年にはキャリアハイを達成した(阪神電鉄提供)

ルーキーイヤーは、けがからの復帰を目指したが、「チームに貢献できないことで、とても不安になった」と心が折れかけた時期もあったという。だが、そんな時、チームトレーナーは林に、目標を立ててこれを達成し、出場の機会を得られるようにと、常に励まし続けた。

2006年、林はついに一軍に定着して活躍するようになる。07年にはシーズン15本のホームランを放ち、阪神の先発レギュラーの一角を占めるようになった。

当時林は外野のレギュラーだったが、 「アニキ」の愛称で親しまれた金本知憲も在籍しており、林は金本を手本として学んだという。「金本先輩は『広島に入団した当初は痩せていて、バッティングのセンスも悪かったが、不断の努力によって自らを鍛えていった』という自分自身の経験を若い選手たちと共有し、激励してくれた」

その後、林は多くのフィジカルトレーニング方法を学んだ。金本の「フィジカルトレーニングによって、故障しづらい身体を作ることができる」という考え方が、金本を「世界の鉄人」にしたのだ、と林は考えている。

林の阪神時代の通算成績は、454試合出場、270安打、31本塁打、通算打率は2割6分4厘であった。

筆者にタイガースで多くの経験を得たと語る林威助。監督となった今でもタイガースOBからアドバイスを受けているという(中信兄弟提供)
筆者にタイガースで多くの経験を得たと語る林威助。監督となった今でも、当時のチームメイトからアドバイスを受けているという(中信兄弟提供)