銀の採掘量は日本一、金は2位
佐渡金山は江戸時代を通して金銀を産出し、小判の製造までが相川で行われていた。その大きな貢献によって、江戸幕府は金銀を国内で自給することができ、長期間の鎖国体制が維持できたとも考えられている。
明治維新以降は官営佐渡鉱山となった。西洋人の技術者を招き、当時の最新技術が導入され、機械化が進んだ。1889年には宮内省御料局管轄の皇室財産とされ、その7年後には三菱合資会社に払い下げられた。採掘量がピークに達したのは1940年頃。戦時下の大増産計画によるものだった。戦後も採掘が続けられ、平成元年(1989年)に388年にも及ぶ長い歴史に終止符が打たれた。
佐渡金銀山の金鉱脈は東西3キロメートル、南北600メートル、深さ800メートルの範囲内に集中している。その狭いエリア内にアリの巣のように掘られた坑道は、総距離400キロメートルに及ぶ。これは佐渡島を2周できる距離だ。最深部は海面下530メートルにまで達し、掘られた岩石の総量は約1500万トン。固めると一辺が180メートルの立方体になるという途方もない量だ。
「1トンの岩石から採れる金の量は平均して5グラム程度で、佐渡金銀山で採掘された金の総量は78トン、銀は2330トン。金の採掘量では平成9年(97年)に鹿児島県の菱刈鉱山に抜かれましたが、銀は今でも日本一です」(名畑さん)
世界遺産登録を目指す
江戸時代には徳川幕府を支え、明治になると日本の近代化に貢献。戦時中は国の大増産政策に利用され、平成元年まで採掘が続けられた。まさに、日本という国家と常に寄り添いながら歩んだ鉱山といえる。
現在、相川金銀山に西三川砂金山、鶴子銀山を加えた3つの山を構成資産とする「金を中心とする佐渡鉱山の遺産群」が、ユネスコの世界遺産暫定リストに記載されている。一つの島の中で、砂金の時代から500年以上にわたる、鉱山技術や生産運営方法の変遷を見ることができる。そんな遺跡群は、世界にも類を見ないであろう。
史跡 佐渡金山
- 住所:新潟県佐渡市下相川1305番地
- 電話:0259-74-2389
- 営業時間:午前8時~午後5時30分(4月~10月)、午前8時30分~午後5時(11月~3月)、年中無休
- 料金:「宗太夫坑」「道遊坑」共に900円(子ども半額、団体割引あり)、2坑道周遊コースは大人1400円(子ども半額、団体割引あり) ※ガイド付きツアーもある
- 公式ホームページ:http://www.sado-kinzan.com/
取材・文=青木 康洋
写真=三輪 憲亮
バナー写真:北沢浮遊選鉱場跡







