健常者よりも障害者の方が高い記録が出ることもあるパワーリフティング。リオ大会では実力を発揮できなかったと言う西崎哲男選手は、職場や家族の全面的支援を受けて、2020年東京大会に向け闘志を燃やしている。

健常者を上回る記録が出る競技

人生を大きく変えた艱難(かんなん)辛苦の体験を披露しながらも、屈託のない爽やかな笑顔を見せる。関西人特有の “人を笑わせてなんぼ” の心根もあり、人を引き込む話術はアスリートと思えないほど巧みだ。どこか人懐っこい少年のような雰囲気を持つ西崎哲男は、パワーリフティング54キロ級の日本王者である。

乃村工藝社(東京港区)のトレーニングルームで
笑顔が印象的な西崎選手。乃村工藝社(東京港区)のトレーニングルームで撮影

取材を始めて間もなく、西崎は驚くようなことを口にした。「僕らの競技はいわゆるベンチプレスですが、障害者が健常者の記録を上回ることが珍しくはないんですよ」

一瞬、西崎の言っている意味が分からなかった。下肢が不自由な障害者が、健常者より重いものを持ち上げられるはずがない。そんな先入観を、西崎が笑いながら打ち破る。

「107キロ超級のシアマンド・ラーマン(イラン)はリオ大会で310キロを挙げ、健常者の世界記録を20キロ以上も上回りました」

例えば西崎の階級に近い59キロ級でも、障害者210.5キロに対し健常者の世界記録は171キロ(2018年6月14日現在)と40キロ以上も違う。どうしてそんなことが起こるのか。西崎が少し首をかしげながら言う。

「体重が同じなら、上半身を鍛えた障害者の方が有利という理論もありますが、もしそうなら、体重制限がない無差別級でも障害者の方の数字が上という理屈は当てはまらない。下肢を失った分、障害者はトレーニングによって健常者にはない別の能力を手にするという説もあり、生理学上、あるいは脳科学的にもまだ解明されていないのです」

そしてニヤリとしながらこう続けた。

「つまり、人間の能力には、まだまだ未知なる領域があるということです」

苦い結果に終わったリオ大会

パラ・パワーリフティングは下肢障害者を対象とするスポーツで、ベンチ台の上にあおむけになり、バーベルを胸に付けて押し挙げ、挙げたバーベルの重さを競い合う。体重別に49キロ級から107キロ超級(無差別級)まで10階級に分かれ(女子は41キロ~86キロ超級)、3回の試技を終えた時点で、成功した試技の一番重い記録で順位がつく。

パラリンピックに出場できるのは、各階級の世界ランキング8位までと、バイパルタイト(救済枠=9位以降の選手を対象に国際パラリンピック委員会が認定する出場枠)2名の計10名のみ。狭き門のため、2016年リオデジャネイロ・パラリンピックに出場した日本人選手は88キロ級の大堂(おおどう)秀樹と54キロ級の西崎、49キロ級の三浦浩の3人だけだった。大堂は8位、三浦は5位入賞、だが「自分を見失っていた」と言う西崎は何の記録も残せなかった。

「大会出場の最終選考時に世界ランク11位だったので、リオには出場できないと諦めて、東京大会に向けて気持ちを切り替えていました。ところが10位以内に同じ国の選手が2人いたために、そのうちの1人が外れ、僕が出場枠に滑り込みました」

西崎は136キロの日本記録を持っていた。だが、心の準備ができていなかった初出場のパラリンピックでは、第1試技で安全圏内の127キロを選び、失敗。結局、3回の試技全て失敗に終わった。

「127キロが挙がらないなんて普段はあり得ない。焦りや気負いが生まれていたんだと思います」

わずか3秒の試技に全てをかける

西崎に促されて、筆者もベンチプレス台に横になり、バーベルを押し挙げてみた。普段重いものを持ったことがないとはいえ、20キロで両腕がプルプルになった。挙げられないというより、バーベルをピタッと静止させることができないのだ。西崎が言う。

「左右のバランスが大事。そのためには背筋、胸筋、上腕筋、あるいは肩甲骨の可動域、骨の強度、腱(けん)など、動きに関わる全ての要素、筋線維を意識しなければならない。非常に奥行きのある競技なんです」

西崎は長年の競技経験から、脳、筋肉、骨、腱(けん)、神経細胞などの細かな動きを感じられるようになった。しかしその感覚を最大限に生かして勝つための「方程式」はまだ見いだせないでいると言う。

第16回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会での西崎哲男選手[2016年1月10日、日本体育大学記念講堂] 撮影:NPO法人STAND/竹見脩吾
第16回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会での西崎哲男選手(2016年1月10日、日本体育大学記念講堂/撮影:竹見 脩吾)

「その方程式が分かれば、体調や会場の雰囲気などに合わせて条件を入れ替えるだけで勝利が導き出せるはずなんですけど、まだ分からないんですよねえ…。でも、2020年までには何としてでも見いだしたい」

パワーリフティングでは、実際にバーベルを押し挙げる時間は3秒程度だ。4年間、勝利の“方程式”を求めてもがき続けても、ほんの一瞬で結果を突き付けられてしまう。刹那的な競技に思えるが、西崎がこの競技を選ぶまでには、さまざまな人生のドラマがあった。

「九死に一生」を得たトラック事故 

奈良県天川村で3人きょうだいの末っ子として生まれた西崎は、家族の愛情を一身に受け、小・中学時代は野球、高校ではレスリングに汗を流した。レスリングでは近畿大会で優勝したこともある、

「でも、対人競技はつくづく向いてないと思いましたね。相手の弱みが見えると、そこを攻められなくなってしまうんです」

高校卒業と同時に運送会社に就職。2001年、23歳の時だった。10トントラックで北陸自動車道を走っていた時、スピードにハンドルを取られ、坂を真っ逆さまに転げ落ちた。運転席もキャビンも「ぺしゃんこ」で、救急隊は無残な残骸を見て運転手はもう助からないと判断したそうだ。だが、西崎は車外に投げ出されていたため、九死に一生を得た。

病院で目を覚ますと1年半前に結婚したばかりの妻、両親、きょうだい、会社の社長や同僚の顔がずらりと並んでいた。とっさに出た言葉が「ごめんなさい」。皆に心配をかけたわびではなく、トラックを廃車にしてしまったことへの謝罪だったと言う。「社長が10トントラックを購入しようかどうか半年近くも悩んでいたんです。その車を僕が半年でダメにしてしまったんですから」

事故から1週間後、下半身が動かないのを意識しながらも、医師にいつ退院できるのか聞くと、「自分の足で歩くのは難しい」と告げられる。脊髄損傷だった。

「忘れもしない、僕の24歳の誕生日に車いす生活を宣告されたんです。不安で未来が見えず、一週間は泣き続けていました」