練習よりも娘との時間を優先する日々 

退院してすぐ、大阪の障害者スポーツセンターで車いす陸上(400メートル)を始めた。運送会社の社長から「障害者でも税金をきちんと払う人生を送れ」とハッパを掛けられて猛勉強した結果、大阪市の公務員試験に受かり、生活も安定した。

「でも、車いすの自分がなかなか受け入れられなかった。他人の哀れみの視線が気になったんです。それでも、陸上に取り組んでいるうちに自分に対する自信が芽生えたのか、車いす人生も悪くないと思い始めました」

2008年北京パラリンピックを目指したものの、あと一歩でかなわなかった。だがその一方で、諦めかけていた人生最大の喜びが待ち受けていた。不妊治療をして5年目、ついに娘を授かることになったのだ。陸上の練習をやめ、娘との時間を選んだ。

「公務員なので午後6時過ぎからしか練習できず、帰りはいつも10時。結局、次のロンドン大会を目指すのはやめて、娘との時間を選びました」

陸上からパワーリフティングに転向

日々成長する娘がいとおしく、家族優先の幸せな時間を過ごしていた2013年9月、思いがけない感情に突き動かされた。20年に東京五輪・パラリンピックの開催が決定した瞬間、抑え込んでいたアスリート本能が目覚めてしまったのだ。

家族の後押しもあり、レスリングや陸上でも筋トレでなじんでいたベンチプレス=パワーリフティングに新たに挑むことに決めた。そして公務員を辞め、日本オリンピック委員会(JOC)の紹介で14年11月乃村工藝社(本社・東京)に入社。商業施設や美術館・博物館、各種イベントの企画や空間デザインを手掛ける同社は、西崎が求める練習環境を全て整えてくれた。社が一丸となって西崎をサポートする体制だ。

「僕は今、何のプレッシャーもなく、十分に競技の練習ができる環境にあります。こんなに恵まれた環境にいると、むしろ最終的な詰めが甘くなるのではないかと不安にもなった。でも、ある選手が “期待はプレッシャーになるけど応援は力になる” と言っているのを聞き、僕もまさしくそうだな、と納得しました。僕は本当に人に恵まれてきたとつくづく思いますね」

多くの人の応援、そして娘の笑顔に支えられ、西崎は2020年に向けて日々、力強くバーベルを挙げ続けている。

乃村工藝社(東京港区)で。西崎の練習用に、東京本社、大阪事業所にベンチ台が設置されている
乃村工藝社(東京港区)で。西崎選手の練習用に、東京本社、大阪事業所にベンチ台が設置されている

(本文中敬称略)

バナー写真:第16回全日本パラ・パワーリフティング選手権大会での西崎哲男選手(所属:乃村工藝社)[2016年1月10日、日本体育大学記念講堂/撮影:竹見 脩吾]

インタビュー撮影:花井 智子