喪失感を乗り越えて
そんな兄弟を突然不幸が見舞う。「僕の人生の一番大きなターニングポイントです。そして、きっと死ぬまで、もうこんなに大きな転機は来ないと思います」。2015年5月29日、康太郎が心臓弁膜症で亡くなったのだ。
その少し前、康太郎は大阪で行われた大会の団体戦で優勝していた。だがその頃から息切れに苦しんでいたという。病院で心臓弁膜症と診断され、即手術。だが土井は海外遠征に出発した。どちらかが入院するのは子どもの頃から当たり前の生活だったため、「すぐに(病院から)戻ってくるだろう」と考えていたからだ。海外遠征に出発する当日、手術を控える弟に「お互いに頑張ろう」と声を掛けて別れた。
手術は成功した。しかしその後容体が急変。帰国してすぐに集中治療室に駆け付けたが、弟の名前を呼んでも反応がなかった。土井は毎日声を掛け続けた―「お前の頑張りはここからだ」「こんなことにお前は負けない」
試合中の康太郎にいつも掛けていた言葉だった。だが、弟は眠りから目覚めないまま2週間後に息を引き取った。
土井の喪失感は計り知れなかった。涙が枯れるまで泣いた。
「子供の頃、みんなが校庭で遊んでいても僕たちはその輪に加われなかった。でも、康太郎がそばにいたから救われたし、寂しくもなかった。もし、一人で生まれてきたら、何かしら周りと比べてマイナスに考えてしまうことがあったかもしれない。康太郎がいて、僕がいて、二人で乗り越えてきたし頑張ってもきた。卓球も二人で切磋琢磨(せっさたくま)できたから日本代表にもなれた。康太郎を失ったことは、僕の人生で最も重い出来事でした」
土井は、葬儀の祭壇に飾られた遺影に向かってこう誓った。「東京パラリンピックでは必ず決勝戦に勝ち残り、お前と闘うつもりでやる」
諦めずに約束は果たす
悲しみを払いのけ、懸命に卓球に取り組む土井に不幸が再び襲いかかる。康太郎が亡くなってから半年後、康太郎と同じ心臓弁膜症と診断されたのだ。
「俺も死ぬのかな…」。そう思ったが、幸いにも手術が成功、容体の急変もなく命をつなげた。
それまでにこやかにパラ卓球人生を語っていた土井が、急に表情を引き締めて言う。
「やはり、自分が生かされた意味って考えますよね。僕が長く生きることによって康太郎の存在を多くの人に知ってもらいたいし、何より、弟と約束した東京パラリンピックの出場を果たさなければなりません」
東京大会に出場するには、2019年1月から20年3月までに世界ランク10位内に入っていなければならない。「ワイルドカード」(推薦枠)もあるが、土井は世界ランクでの出場を狙っている。19年10月1日現在で土井の世界ランクは31位とかなり厳しい。だが諦めるつもりは毛頭ない。
「弟との約束は必ず果たします」
東京大会まで1年を切った。どんな結果になろうとも、悔いのない戦いをしてほしいと願わずにはいられない。
(本文中敬称略)
インタビュー撮影:花井 智子


