聞こえない音楽の探求

この出来事をきっかけに歌に興味を持った齋藤は、音楽についてもっと知りたいと思うようになり、知人のミュージシャンを訪ねて、「あなたにとって音楽とは何か」と問いかける。そのうちの一人がシンガーソングライターの七尾旅人だった。七尾の出演する野外ライブの会場に足を運んだ齋藤は、観客の反応から音楽を知ろうとする。やがて地面に咲く一輪の花に目に留め、そこに彼なりの音楽を感じ取る。

齋藤が「宮沢賢治の雨ニモマケズを体現している、優しくて強くてかっこいい人です」と評す七尾旅人(左) ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS
齋藤が「宮沢賢治の雨ニモマケズを体現している、優しくて強くてかっこいい人です」と評す七尾旅人(左) ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

齋藤は仕事でミュージシャンを撮影することも少なくない。撮影を始めた当初は、「歌詞や経歴からその人を探ろうとしていた」と振り返る。だが音楽を聴くことができない彼にとって、それが重要でなかったことを悟る。それ以来、被写体との向き合い方を変えたのだという。

齋藤 物腰やまなざし、手の温かさ、文字を通してその人を理解し、それから撮影に入るようになりました。そうしたらなんだかうまく噛み合ってきた。撮るときはいつもドキドキしていますが、そういう風に撮っているうちに、歌も音楽も写真も言葉も枝葉でしかなく、それを支える大木はやっぱりその人間だよなあと思うようになりました。

齋藤が風呂で樹くんに歌う場面に付けられた「絵字幕」。アーティスト「小指」とのコラボで誕生した。ろう者にも「うた」が温かくて豊かなものであることを伝えられるきっかけになれば、との思いが込められている ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS
齋藤が風呂で樹くんに歌う場面に付けられた「絵字幕」。アーティスト「小指」とのコラボで誕生した。ろう者にも「うた」が温かくて豊かなものであることを伝えられるきっかけになれば、との思いが込められている ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

『うたのはじまり』は、「耳の不自由な人に歌をどう伝えるか」というテーマに迫るべく、音楽を可視化する試みとして「絵字幕版」も併映される。これは齋藤自身が提案したもので、アーティスト「小指」が手掛ける「スコアドローイング」というオリジナルの手法を採用した。

齋藤 自分では映画の「うた」の部分を見ても全く分からないんです。もっと強弱とか、動きとか、リズムとか色が変わるとか、柔らかいものが「うた」だと思うから、通常の字幕ではない形で字幕が欲しいなと悩んでいました。この絵字幕によって、自分の声が具現化されて、「うた」と初めて出会えたと思えました。そのことに、何よりも感動しました。一般的なバリアフリー上映とはちょっと違う、新しい表現に昇華されていると思います。

絵字幕版によって、聞こえる、聞こえないという境界を越えて「うた」と出会った感動を伝えたいという彼らの思いは、きっと多くの人々の心に響くに違いない。

七尾旅人(左)の前で齋藤がうたう「子守歌」の絵字幕 ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS
七尾旅人(左)の前で齋藤がうたう「子守歌」の絵字幕 ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

境界を見つめ直す

出会いからほぼ6年。撮影の開始から作品の完成までを通じて、二人は何を得たのだろうか。

齋藤 飴屋さんと一緒にパフォーマンスをしたときに比べると、歌に対してすごく柔軟に捉えられるようになったと感じています。心の中からあふれ出るものをそのままに伝えていいんだっていうのが分かってから、歌に対する抵抗がなくなりました。それが今回の撮影を通じて感じた一番大きな変化や発見です。

河合 まさにそのことを映画の中でも語ってくれていて、僕もそこまでたどり着けたことをとてもうれしく思っています。この映画の中で齋藤さんがうたっているのは樹くんのための「うた」なんです。でも今回の絵字幕版を通じて「うた」にどんな抑揚があるのかを初めて知った齋藤さんが、今後自分のための「うた」を見つける可能性があるかもしれません。

出産を終えた妻と生まれた子どもにシャッターを切る齋藤 ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS
出産を終えた妻と生まれた子どもにシャッターを切る齋藤 ©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

齋藤 “ろう者”と“聴者”とか、男と女とか、物事の境界というものは、すべて言葉によって形作られています。僕自身は言葉が生まれる前の原点にさかのぼり、いろんなものが「ただそこにいる」だけの世界を見たいと思って、これまで写真家としての活動を行ってきました。この映画も同じです。根本的な、大切なものを撮ってもらえたと思っています。河合さんも「根本とは何か」を考える方なんです。いつも撮る側の自分が撮られてみて思ったのは、被写体の態度や心が、映像の良し悪しに直結すると。そう考えると、これまで撮影させてくれた方々に対して、ありがたいなとより思うようになりました。

河合 齋藤さんを追いかけたら、「うた」だけでなく、人間関係や生活における「根本を見つめ直そう」ということもテーマになったと感じています。2014年の公演で飴屋さんが齋藤さんの耳をつかむシーンを最初に見たときは、僕も衝撃を受けました。そのシーンを受けて、いま思えば、社会に合わせた取り繕った疑問ではなく、純粋な疑問をちゃんと向き合う相手に示すことが必要な世の中になっているんじゃないかと考えるようになりました。

長男の樹くんはいま4歳になった。夫婦には2人目の畔ちゃんも誕生し、河合はその出産シーンも撮影したという。「産声とは?」という齋藤の問いに対する答えを、河合はまだ出せずにいる。だが、今回の『うたのはじまり』という作品を通じて、人が人に切実な思いを届けようとして「うた」が生まれる瞬間や、音声によらない「うた」の感じ方を、私たちに伝えてくれているのは間違いない。

取材・文・撮影=渡邊 玲子(2020年1月24日、東京都写真美術館における上映会での手話通訳を交えたトークイベントの取材と、グループチャットを用いた個別取材を基に構成)

©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS
©2020 hiroki kawai/SPACE SHOWER FILMS

作品情報

  • 出演:齋藤 陽道、盛山 麻奈美、盛山 樹、七尾 旅人、飴屋 法水、CANTUS、ころすけ、くるみ、齋藤 美津子、北原 倫子、藤本 孟夫 他
  • 監督・撮影・編集:河合 宏樹
  • 整音:葛西 敏彦
  • 字幕作成:Palabra 株式会社|Score Drawing:小指
  • 配給:SPACE SHOWER FILMS
  • 製作年:2020 年
  • 製作国:日本
  • 上映時間:86 分
  • 公式サイト:utanohajimari.com
  • 2月22日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか順次公開

予告編