街ぐるみで起こった性的指向の大転換

しかし、1958年「売春防止法」施行で、性を売ることができなくなり「青線」街は寂(さび)れかける。そんな旧「青線」街に現れたのが、新宿駅西口や基地の街・立川での男娼稼ぎで資金を貯めた女装男娼たちだった。「彼女」たちは、価値が下がった店の営業権を買って小さな飲み屋を始める。私が知っている90年代の「ゴールデン街・花園街」には、そういう来歴の店がまだ何軒か残っていた。

そうした土壌がある街に、読売新聞の社員で女装秘密結社「富貴クラブ」の有力会員だった加茂梢が67年、女装バー「ふき」(花園五番街、後に「梢」に改称)を開店する。これが新宿における女装系の店の元祖であり、女装コミュニティの原点となる。

1964年6月、新装となった新宿駅東口ビルの前で記念撮影をする女装秘密結社「富貴クラブ」の会員たち三橋順子氏提供
1964年6月、新装となった新宿駅東口ビルの前で記念撮影をする女装秘密結社「富貴クラブ」の会員たち

私がお世話になった花園五番街にあった女装バー「ジュネ」は、退転した「梢」に代わって80~90年代の女装コミュニティの中核になった店だが、その前身は、美貌の女装男娼として知られた人が開いた店だった。だから「ジュネ」のボトル棚には「彼女」の遺影がいつも飾ってあった。

花園神社裏の「青線」が担っていた酒と性を売る街の機能は、その後、区役所通りを挟んで西側の歌舞伎町1丁目(区役所裏)に移動する形で再編成される。

新宿三丁目と二丁目の境界になっている御苑大通りが新宿通りと交差する南側(広いグリーンベルトがある)あたりにあった「千鳥街」も、闇市起源の小さな飲み屋街だった。「千鳥街」は1950年代にすでにゲイバーの多い街として知られていたが、御苑大通りの延長によって68年に立ち退きになってしまう。その直後の69~72年に、新宿通りを挟んだ北側の旧「赤線・新宿二丁目」周辺にゲイバーが急増する。つまり、「ゲイタウン」の原点は「千鳥街」であり、その立ち退きが「ゲイタウン」形成のきっかけになったことが最近の私の研究でわかってきた。

長い伝統をもつ男と女の「性なる場」が短期間に男と男の「性なる場」になるという、世界でも稀な「街ぐるみの性的指向(セクシュアル・オリエンテーション)の大転換」という謎が、ようやくほぼ解明された。

こうして、男と女の異性愛の街・歌舞伎町、女装コミュニティの原点・花園街、男と男の(後に女と女も)同性愛の街・二丁目という「住み分け」を伴う新宿の性的な多様性は、戦後の闇市を起源に、そこから派生した飲み屋街の中で育まれ、それが「売春防止法」の施行などによって再編成されながら、今に至ったということになる。

多様性の街・新宿で遊ぶなら

最後に、多様性の街・新宿の遊びガイドを少しだけ。

「ゲイタウン」になった現在の二丁目・仲通り
「ゲイタウン」になった現在の二丁目・仲通り

二丁目の仲通り周辺には、200軒以上のゲイバー、20軒ほどのレズビアンバーがひしめいているが、男性同性愛者しか入れないゲイバーや、女性しか入れないレズビアンバーなど伝統的なスタイルの店が多い。その一方で、最近ではゲイブックカフェ「オカマルト」や、レズビアン系の足湯カフェ「どん浴」など、LGBTに理解がある人なら誰でも入れるMix系の店が注目されている。今後は、こうした「開かれた」店が増えていくのではないだろうか。

女装系の店は、2000年代の性別移行を精神疾患と見なす「性同一性障害」の大流行でダメージを受けて数が減ったが、歌舞伎町・花園三番街の「JAN JUNE」(「ジュネ」の孫に当たる)が発祥の地で伝統を守っている。女装系の店は、もともと女装者に理解がある人なら男女を問わず「おいでください」だし、お値段もリーゾナブルなので気楽に立ち寄れる。

もっとゴージャスに飲みたい人なら歌舞伎町二丁目・区役所通りのニューハーフクラブ「メモリー」がお勧め。20年以上変わらない美貌のママが迎えてくれる。

ニューハーフ・ショーを楽しみたいなら、歌舞伎町の「黒鳥の湖」。はとバスの夜の東京観光コースにも入っている創業40年の老舗だ。

「あれ、今、すれ違った背の高い美人、ニューハーフ?」。そんな出会いがあるのが新宿の魅力。ぜひ、大勢の方に、多様性の街・新宿を楽しんでほしい。

写真提供:三橋 順子
編集協力:POWER NEWS

バナー写真:新宿二丁目のゲイ・ショップ「ルミエール」