日常生活の中で投げられる言葉と視線
さらに、「ハーフ」たちは、学校や職場などの特定の場所に限らず、外を歩いている時、電車・バスの中、買い物の最中など、日常生活のさまざまな場面で偏見の対象となる。
田中トーマス(前出) 7歳ぐらいの時、普通に歩いていたら、自転車に乗った小学生が目の前で止まって、「うわー、外人だ」って。サッカーの練習の帰り道で車にひかれそうになった時、「あぶねえ」と思ったら、運転していた人が窓を開けて、「おい外人、国帰れ」と言われたり。
鈴木ハンナ(父親が米国人/20代) 電車に一人で乗っている時、たまに周囲からボソッと「あの人ハーフかな?」「外人かな?」みたいなやり取りが聞こえる。「私、日本語分かるんですけど」って思う。温泉に入るときとかにも、誰も私が日本語を話せるとは思わないみたいで、周りが私のことを話題にしていることがある。
ハリスアメリア紗智(父親が米国人/20代) 道を歩いている時に、「ハロー、ハロー」と車の中から声を掛けられたり、よく話し掛けられる。電車の中でも、ジロジロ見られる。私も妹もそれがすごく嫌で…。特に父と出かけるのが嫌だった。一緒に出かけると、必ず人に見られるから。でも、お父さんついて来たがるから、小さい頃は「来ないで」とか思ってた(笑)。そのうち、多少は慣れてきたかな…。
さまざまな生きづらさを抱えて
偏った「ハーフ」のイメージを結び付けられ、不当な扱いを受けた体験を挙げてきた。特に “亨” や “隆史” のようなサービス業では、頻繁に「外国人」扱いされ、見た目がクレームにつながることさえあることを知った。
別のケースでは、業務の際の一挙手一投足について「外国人みたいだ」「日本人らしいね」と言われる「レイシャル・ハラスメント」を経験した人もいた。たとえ悪意はなくても、毎日のように繰り返されれば、働く上で精神面に大きな負荷となる。最近ではワーク・ライフ・バランスや「働き方改革」が叫ばれ、セクハラや「SOGIハラ」(ソジハラ=性的指向・性自認に関するハラスメント)のガイドラインを策定する会社も増えつつある。だが、社員の多様なルーツに配慮した対策は十分に検討されていない。外国籍の社員だけではなく、多様なルーツを持つ人々が急増する今、レイシャル・ハラスメントも考慮に入れたガイドラインの策定は急務ではないか。
就活に関しては、例に挙げた “イーサン” や “トーマス” のような差別的な経験のみではなく、自らの国際的なルーツを意識的に面接で話すことで成功したケースもある。だが、見た目に対する強力な偏見により、多くの場合、雇用機会へのアクセスは決して均等ではないことは事実だ。
一方で、東アジアにルーツを持ち、外見で「日本人」とみなされてしまうことが多い「ハーフ」の中には、就職差別を恐れて、“カミングアウト” するべきかどうか緊張を余儀なくされている人たちもいる。
日常生活でも「見た目」が生きづらさの要因になっている。知らない人から「外国人」扱いされて日本語が話せない存在とみなされる、生活圏内でひどい言葉を投げつけられたり、執拗に見つめられたりするという経験は珍しくない。
「ハーフ」を巡る戦後史やさまざまなアイデンティティー、社会的状況などに関する認識はまだまだ不十分だ。不十分なままにその存在がありのまま受け止められず、同化と排除が繰り返され、ステレオタイプで不当なイメージだけが現在の社会に流通しているのではないか。
別稿にも書いたように、現在、少しずつ「ハーフ」の人々自身による社会発信が増えている。彼らの声に耳を傾け、多文化が進む日本社会のコミュニケーションの在り方を見つめ直すことが重要なのだ。
バナー写真:筆者の母親が大事にしているアルバムには、祖母と子ども時代の母が一緒の写真と、祖父の顔写真が同じページにある。本文中の写真、資料提供も筆者(下地 ローレンス吉孝)