父ほど厳しい、優しい人はいない

——なぜ日本でプロの棋士になろうと思ったのですか?

台湾では囲碁に関する教材や情報がほとんど日本からのものでした。台湾にもプロ棋士はいますが、対局数が少ないので、日本でプロになるのは半ば当然の目標になりました。また、林海峰(リン・カイホウ)先生や張栩(チョウ・ウ)先生はスターのような存在で、台湾出身棋士の日本での活躍は現地でも大きく取り上げられていました。林先生の名前を冠した海峰杯という大会もあります。10歳の頃にこの海峰杯で優勝したのですが、トロフィーをいただいた時は本当にうれしくて感動したのを、今でも覚えています。

ちなみに囲碁を始める頃に読んだ日本棋院発行の『棋道』という雑誌にあった「女流本因坊」という漢字を指して、「私は将来、女流本因坊になる!」と父に伝えたことがあったそうです。その後、本当にそのタイトルを手にするわけですが、囲碁を諦めなくてよかったと思います。

——ご両親の指導と支えについて教えてください。

私の父は学習塾の先生をしていましたが、とにかく自分にも生徒にも厳しい人でした。父より厳しい人にいまだに会ったことはありません。でも、実家から片道2時間かけて都会の会場まで車で送り迎えしてくれたり、12歳で来日後は日本語ができない中でも身の回りの世話をしてくれたり、私を常に支えてくれました。本当に感謝でいっぱいです。一日も早くプロになろうと頑張ったのは、ひとえに両親や支えてくださった皆さんに報いたいと思ったからです。

日本には誰でも来られるわけではありません。実力もそうですが、資金などさまざまな支えがあって初めて来られます。
14歳でプロ棋士になった時のことを今でも覚えていますが、とにかく責任を果たせたことで開放感に満ちていました。またゴールと言うよりようやくスタート地点に立った気がしました。

プロになってしばらくして、父母にはもう日本に来なくていいと伝えました。言葉や身の回りの世話が自分でできるようになったのもありますが、少しでも楽をさせたかったからです。