AVからピンク映画へ

2015年に新宿ニューアートでストリップの初舞台を踏んだ倖田李梨だが、ショービジネス界では20年選手。最初はOLとして働きながら、「小遣い稼ぎ」でアダルトビデオ(AV)に出演していた。

「当時、短大卒のOLだといろいろ天引きされて、手元に残るお金なんてほんのわずか。AVは純粋にアルバイトのつもりでした。だから緊張もしなかったし、つらいとも感じなかった。これだけのお金をもらえるなら、これくらいは体を張らなきゃと割り切れた。ただ、世間には自分だとバレないように、広告や雑誌には一切出ないようにしてもらっていたんです」

しかし5年ほどして会社にバレ、人事課に呼び出された。てっきりクビになるのかと思ったら、「AVを辞めてほしい」と言われたという。

「男性社員の中に私の作品を見ていた人がいて(笑)、少しずつ噂になっていたらしいんですね。仕事はきっちりやっていたので、会社からは辞められたら困ると言われたんですけど、それを機に女優に専念することにしました。ちょうど撮影に対する意識が変わってきていたんです。何で大人がここまで真剣にエロを追求しているんだろうって…。そう考えたら面白い世界だなと」

「広島第一劇場」にて=2019年2月6日、広島市中区 ©花井智子
「広島第一劇場」にて=2019年2月6日、広島市中区 ©花井智子

それが2005年。このときから倖田李梨を名乗り、ピンク映画からも声が掛かるようになる。ピンク映画は、全盛期には年間200本以上作られたとされるが、その後はどんどん減って、いまや40本を切っている。そんな中、10数年で出演作品は120本を超え、「ピンク映画の女王」と呼ばれるまでに至った。

「主役だけやっていたら絶対にそんな数は出られないですよね。どんな役でもいいから、クレジットに名前が出る仕事をやりたいと。演技を勉強したわけではないですから、叩き上げですけど。とにかくお芝居がしたいのと、元々映像が好きで、作品を作る現場が楽しいんです」

いまやデジタルに移行したピンク映画だが、倖田が出演したうち99本はフィルムの作品で、古き良き時代の撮影現場を経験した最終世代の女優と言っていい。

「ピンク映画特有のアフレコもありましたね。現場で芝居して、録音でもう1度芝居するという経験はなかなか貴重ですよ。後から声を吹き込むときに、現場で足りなかったものをいろいろ補える。カメラの前でセリフが飛んだり、トチったりしても、それらしく口を動かしておけば、アフレコで何とかなった(笑)。何回も撮り直しはできませんから、舞台にも通じる一発勝負の感覚はここで養いましたね。いい経験をしたなって思います」

「A級小倉劇場」にて=2019年3月13日、福岡県北九州市 ©花井智子
「A級小倉劇場」にて=2019年3月13日、福岡県北九州市 ©花井智子