造成完了待ちきれず、町を出る住民も

仮設住宅に長男、中学生の孫と3人で暮らす木村悟さんは、今は主に家事を担当。「孫の弁当も作ってあげているよ」

「長男とその中学生の息子と3人暮らしだから、4畳半2間では狭すぎる。壁が薄くてプライバシーを守れないし……。気が滅入るよ」。津波が来たときはたまたま町外の知人の家にいて命拾いしたが、自宅は流され、最愛の妻を失った。女川原子力発電所施設での避難所暮らしの後、山形県天童市の長女の家で約3年間生活した。だが、大型漁船や港湾工事に使用する船に乗って長年仕事をしてきたこともあり、海に強い愛着があった。「やっぱり故郷の方がいい」と、2014年に長男らと一緒に戻った。

無料の仮設住宅と違い、公営住宅では月1―2万円の自己負担が必要になるが、それでも「仮住まい」よりはずっといい。木村さんは穏やかな表情を浮かべながらも、強い口調で訴える。「よほどの大災害だったから、復興に時間がかかるのは理解できる。でも、いつまでも行政に頼れないと思っているからこそ、とにかく落ち着ける居場所がほしい」

こうした声を同じ地区の仮設住宅に住む女性(56)からも聞いた。「うちは子供のこともあるし、町が造成した宅地に自力で家を再建する予定ですが、完了するのは2018年春だと説明されています。そのころには土地の値段もどうなっているか分かりませんし、予算の計画が立てにくい。最長でも震災後5年のうちには出られると思っていたのに……。近所のかなりの人が、待ちきれずに、仙台や石巻にいる子供のところに引っ越したり、宅地造成や災害公営住宅の建設が早く終わった別の自治体に移ったりしています」

高台少ない上に、固い岩盤で工事難航

今回で震災後の女川への訪問は5回目になるが、町は当初から住宅確保を最も重視していた。しかし、女川は他の被災地と比べても、住宅地や中心市街地を含めた町の大部分が酷く破壊された上に、もともと住宅に適した高台が極端に少ない。しかも、造成予定地は予想以上に固い岩盤が多く、工事が難航している。

須田善明・女川町長は「苦境の中でも、町民とともに『攻めの姿勢』で前向きに努力したい」

土地造成の手続き自体、全国に散らばる多数の地権者からの同意を得なければならず、思いのほか手間取っている。町によると、離・半島部を除く中心部の災害公営住宅は、本年度末時点で全体の28%が完成する見込みで、2年後の2018年春にようやく全戸が完成する予定になっている。

須田善明町長は、「当初から復興には相当に時間がかかり、人口も大きく減ることは覚悟していた。それでも、町民の住宅確保は最優先の課題だ。特殊な重機を導入したり、岩盤を砕く発破作業を加速したりして、できる限り早く工事を終わらせるようにしたい」と話す。

仙台とは対照的に、震災後に過疎化、少子高齢化がますます深刻となり、見通しは依然として厳しい。そうした中でも、自治体として被災者の期待に応えなければならない。須田町長は「新しいことにどんどん挑戦する町にする」とも強調した。それを実現するためにも、まずは町民の居住基盤の確保を急ぐ必要がある。

写真撮影=菊地 正憲

バナー写真:仙台市若林区荒浜の海岸に立つ東日本大震災の犠牲者の慰霊塔。5年前のあの日も寒空が広がっていた。