「台湾人、万歳!」
日本統治時代のエリート層の一掃——それこそが二二八事件の恐るべき真相だった。
逮捕された徳章は、激しい拷問を受けた。しかし、台南工学院をはじめ、リーダーたちの名を決して漏らさなかった。「誰だ!おまえに武器を引き渡したのは、誰なんだ!」。逆さづりにされて銃床で殴り付けられ、あばら骨を折られても、徳章は誰の名前も出さなかった。
多くの台湾人に衝撃と感動を残したのは、徳章が処刑される時だ。無実の罪を着せられて民生緑園(現在の「湯徳章紀念公園」)にトラックで引き立てられてきた徳章は、目隠しも、木に縛り付けられることも拒否し、
「私に目隠しをする必要も、また、木に縛り付ける必要もない!なぜなら、私には大和魂の血が流れているからだ!」
と叫んだ。すべて台湾語である。さらに、
「もし、誰かに罪があるとしたら、それは私一人で十分だ!」
自分一人が罪をかぶって死んでいく、だから心配するな、こんなやつらに絶対に負けるな!と、徳章は民衆の魂に呼びかけたのだ。そして、最期に台湾語ではなく「日本語」で、こう叫んだ。
「台湾人、バンザーイ!」
その時、銃声が轟いた。徳章は、3発目の銃弾が眉間を貫いた時、巨木が倒れていくようにゆっくりと崩れていった。驚きと感動で人々は言葉を失っていた。
自分の命と引き換えに、多くの若者の命を救った坂井徳章弁護士の最期は、38年という世界最長の戒厳令下でも、ひそかに語り継がれていく。そして、半世紀の後、徳章は忽然(こつぜん)と復活する。台南市が、徳章が処刑された現場となった民生緑園を「湯徳章紀念公園」と改名し、同時に徳章の胸像を建てたのである。
さらに16年後の2014年、頼清徳・台南市長は、徳章の命日を台南市の「正義と勇気の日」に制定した。
私は、二二八事件と、若者の命を救うために自らを犠牲にした、この日本人のことをどうしても描きたかった。日本人が示した極限の勇気と潔さ――かつての日本人の毅然とした生きざまを、大切に語り継いでくれるのが台湾の人々である。台湾では、こうした日本人の偉業が、各地で語り継がれている。その彼らが、今も「日本が最も好き」と言ってくれることのありがたさを、私はしみじみ感じるのである。
バナー写真:「湯徳章紀念公園」にある徳章の胸像(撮影:小森 利恵)
