林鄭行政長官の戦略:脱政治化

この重く難しい宿題を、林鄭長官はどのようにこなそうとしているのか。林鄭長官の戦略はソフト路線である。2014年発生した、道路を長期占拠した民主化運動「雨傘運動」の後、一部の若者の間で盛り上がった香港独立論を「萌芽(ほうが)のうちに消滅させる」として、執拗(しつよう)にたたき続けた梁振英前行政長官と異なり、林鄭長官は「ごく少数の者による不合理な議論」にすぎないと、これを放置する姿勢をとる。「国家安全条例」についても、論争性があるため、社会の雰囲気作りを優先するとして先送りにする意向である。

一見すると、これは習主席に対する反抗である。しかし実は、習主席の講話には、「何でも『政治化』させ、対立や対抗を生み出すと、経済と社会の発展を損ねる」との内容もあった。ソフト路線は「政治化」を回避するための策なのである。

この20年の中でも、梁前長官の過去5年間の任期中は最も激しい政治化の時代であった。就任直後の反愛国教育運動に続き、14年には「雨傘運動」が発生、世界を震撼(しんかん)させた。16年には若者と警察との激しい衝突が起き、暴動罪も適用された。このような事態を招いた一因に、梁前長官の強硬な政策がある。普通選挙を求めるデモに催涙弾を発射したことが、道路占拠の発端となった。梁前長官が若者を激しく批判したことは、独立論を盛り上げた。16年の立法会(議会)選挙では、一部の政治活動家を「独立派」と断定して出馬資格を剝奪したり、当選した議員の就任宣誓のやり方を理由に議員資格取り消しの裁判を起こしたり、「禁じ手」とも見られる行政・司法の手段を駆使して、若者の政治活動や民主派と対抗した。

このような強硬策は、結果的に、香港社会内部の対立や、政治活動の急進化をあおってきた。梁前長官は「独立の父」とやゆされ、立法会内でも民主派が政府に強く反発し、審議の引き延ばしを図るなどして政策が停滞した。林鄭長官は前任者の轍(てつ)を踏まないように、慎重なスタートを切ったのである。