語学学校へ入学して夢を追い続ける
北村にはいつからか、役者になりたいという夢があった。高校を卒業すると一念発起し、故郷の滋賀を離れて大阪に移り住み、小さな劇団に所属した。それから2年ほどたった頃、今度は「落語のできる舞台役者」を目指し、笑福亭福笑の門をたたいた。「笑福亭はてな」の芸名をもらい稽古に励んだが、1年後に突如師匠から破門されてしまう。それでも役者の夢は捨て切れなかった。そして、北村が次に出した結論が「中国語のできる舞台役者」になることだった。
台湾に到着して間もなく、北村は日本人オーナーの日本料理店で働くことになった。待遇は良かったが、1年たっても北京への留学資金は予定の半分もたまらなかった。自宅と店を往復するだけの単調な生活にも嫌気が差し始めた。役者の夢もずいぶんと遠のいてしまったように感じた。日本に帰ろうか迷い始めたころ、北村のことを唯一「先生」という敬称で呼んでくれたアルバイトの大学生からこう諭された。
「北村先生は才能があるのですから、もう少し台湾でがんばってみたらいかがでしょう。語学学校に通って中国語さえ自分のものにできたら、その後はどんなことだってできると思います」
その言葉に励まされ、北村は政治大学の語学学校に入学した。幸いなことに、学校から奨学金も得ることができた。この語学学校に通っていた1年間は、バラ色の人生だったと北村は振り返る。台湾人や日本人のみならず、さまざまな国籍の外国人と毎日交遊した。大学に進学してこのまま学生生活を続けたい。いつしかそう思うようにもなっていた。
